本

『データブック 日本宣教のこれからが見えてくる』

ホンとの本

『データブック 日本宣教のこれからが見えてくる』
第6回日本伝道会議日本宣教170→200プロジェクト編著
いのちのことば社
\1900+
2016.9.

 キリスト教年鑑といったものは、毎年発刊されるのだが、ただ数字を載せて、いくらかのコメントを、という資料としての価値はあるものの、それをどう読み解いていけばよいのか、にいて突っ込んだ指摘は普通あまりない。もちろん、資料を示すことそのものに意味があるのであって、やたら価値観を編集部から決めつけて提示するということは相応しくない時があるかもしれない。だが、それでよいだろうか。いまは緊急の時であるというふうに捉えてはならないだろうか。もっと、誰か気づきを共有する必要はないだろうか。
 そのため、ここにあるデータは、ただの数字の羅列ではなくて、その意味を読み解く作業までを含めた形で紹介されることが多いし、ただのコラムもいくつも掲載されている。これからの日本における宣教を論ずるのにあたり、数字を用いている、というふうに考えたほうが、むしろ適切であると言えるかもしれない。
 しかし、やはりこれはデータブックである。思い込みや解釈では辿れない、確かな数字が都道府県別に、あるいは教団別に出てくる。やはり真骨頂はそこにあるのだろう。それでも、この数字については曖昧な部分がある、という事実も説明されているから、良心的である。というのは、たとえば信徒数などは、その教団の集計に頼るしかないのであるが、そのさき、どのような人のことを信徒としてカウントするのか、は、統一的な基準があるわけではないのである。礼拝出席者とも違うし、しばらく教会に顔を見せていない人も教会員だと言えるかもしれないが、さっぱり行方不明の人は数えるのかどうか、など明確な判定基準が決まっているわけではないからである。そういうことを断った上で集められている数字なのである。そうした理解の上に、この数字を考慮に入れたいものである。
 サブタイトルに、「キリスト教の30年後を読む」と記されている。これは実際、具体的なイメージをもちやすい提案である。漠然と、教会の将来などと言っても、論じたり考えたりする土俵が同じになるとは限らないのである。その点、一世代とでも言うべきか、30年という基準は、そのために具体的に何をどうすればよいのか、という議論が提出できる強みをもつ。議論するというのは、このような具体性を以て、考えていくものでありたいと思った。また、その故に、編著者の名に、「170→200」というふうにあるわけだが、これは、プロテスタントの日本宣教年数を表していりのであろう。この200という区切りへ向けての、30年という設定であったのである。帯には「教会消滅? それとも増殖? 危機の壁をどう打ち破るか」とセンセーショナルな言葉が並んでい。
 自分のいる教会が標準である、とクリスチャンはどうしても考えがちである。他の教会も同じようなものだろう、と類推しやすい。しかし、本書の後半では、新しい礼拝のスタイルが紹介され、その意義や、招く対象の人々についての見解などにも触れて意見が記されている。新しい礼拝は、各地で始まっている。若者が相手だから、では済まされない。年配の方もいる普通の教会の礼拝で、ラフな、というより、近代ヨーロッパの形式に囚われない、旧約聖書をモデルにしたような礼拝形式を取り入れて実践している教会を、私は知っている。また、私がいま礼拝に加わっている教会も、この新しいスタイルである。数十年前にはどの牧師も否定しがちであったようなことが、いま各地で拡がっている。しかも、そうした礼拝の教会では、年に受洗者が何人も何人も与えられている。それを見ている故に、私はこの本で知って驚いた。年間ひとりの受洗者もない教会が、日本基督教団の6割を占めるというのである。そして年間の平均受洗者数が0.8人。
 無牧という言葉の定義も曖昧であるが、常駐の牧師をもたない教会が、数教会に一つあるというのも実情であるそうで、これを聞くと、自分のいる場所だけしか知らないことによる無知の思い込みというものも怖いものだと知る。広く世間を眺めてみるというのは、やはり良いことなのだ。風通しのよい教会であるならば、何かが変わってくるのではないかと思われる。まずは、本書のようなもので、窓を開けてみよう。




Takapan
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