本

『「十字架の神学」をめぐって』

ホンとの本

『「十字架の神学」をめぐって』
青野太潮
新教新書268
\1700+
2011.8.

 十字架の神学というのは、ルターが打ち出した有名な神学である。だが、そのルターの思想を紹介しようとするものではない。
 本書は、新書である。分厚いのでこれだけの価格でもそれでよいと思うが、著者の思考に慣れていないとずいぶんと読むのにも苦労するかもしれない。というのは、これは著者の独自の神学を語るものだからである。青野太潮氏による、十字架の神学なのである。
 しかし、これは神学書ではない。著者には当然神学書もあり、論文という形で学問的な厳密さの手続きを経て著したものがある。だがこれは、講演集である。教会や大学関係で語った講演の原稿を集めたものとされている。ただ、そこは学者としての矜持からか、細かな議論や出典についての注釈が添えられている。語ったことの背景にどういう論争が合ったのか、またそれに対して自分はどのように考えているのかのまとめなど、この注釈を見ていくのが実はかなり面白い。けれども、やはり本筋は本文である。講演であるため、神学についての知識がまるでなければ確かに聞きづらいにしても、いくらかの関心をもって聴くならば誰でもその講演に参加できるように、ほどよい柔らかさをもって語られ、説明が施されている。つまりは、読みやすい文章となっているわけである。どういう論拠で自分がそのように主張するのか、そうしたことが伝わってくるものとなっている。
 先に『十字架につけられ給ひしままなるキリスト』について触れた。それも比較的読みやすい形で世に出されたものであったが、印象としては、こちらの新書のほうがさらに読みやすい。ただ、著者も断っているように、講演が別の機械であるとはいえ、語る内容や主張は要するに同じことであるので、読んでいくと、先に読んだことと同じことが書いてある、という気がすることが多い。少し長く一致する場合もあり、また出てきたのか、と思う読者がいるかもしれない。だが私は逆手をとろう。二度目に読んで理解できていると思ったらそれでよいのだ。自分の読み方が深まる、理解が深くなると思えばよいのだ。英語のリスニングでも、二度目、三度目となると、だんだん意味が呑み込めてくる。論旨を二度、三度と辿ることは、決して無駄なことではない。
 先の『十字架につけられ給ひしままなるキリスト』でも記したが、この神学は、私の実感に近いものを有している。また、そのような感想をもつ牧師もほかにいるようだ。神学という学問の中で主張することに対しては、他の意見をもつ人もいるだろうし、そうした人との対話は、礼儀を弁えながらも、強く主張していかなければならない面もある。そのため、語る言葉の中に、またその注釈の中に、強い口調のものが混じる場合がある。だがそれさえも楽しめるようになれば、読者としては合格であろう。むしろそのくらいの心持ちで、本に対処できたらよいのではないか、と教えられている。
 教会や大学において語りかける講演であるために、話の内容レベルは決して手抜きをしていないと思う。また、時々読むに値する本も紹介してある(逆に値しないものも登場するが)。それをまた読んでみたくなる。同じ本でも、そのように、紹介してある本を読者も読みたいと思わせるのであれば、もしかすると著者としては、その著作において成功しているのではないか、という気もした。




Takapan
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