本

『中学受験に迷う親たちへ』

ホンとの本

『中学受験に迷う親たちへ』
宮川俊彦
PHP研究所
\1365
2009.4

 タイトルの「迷う」という部分が赤系統の色に変えられており、そこに波線が付けられている。サブタイトルは「知っておくべきこと、考えておくべきこと」とある。
 PHP研究所とあるから、教育や子育てにも強い関心をもっているところでもあり、期待して開いた。
 が、どうにも分からない。
 私は、自分が頭が悪いのだと思った。著者が何を考え、何が言いたいのか、ちっとも分からないのだ。中学受験というものを現場で見ている私が、ここに書いてあることが何であるのか、殆ど理解できないのである。
 著者は、「国語作文教育研究所所長」である。作文や教育のプロであり、企業の教育活動でも膨大な仕事をしているのだという。きっと立派な文章を書かれるのだろう。だが、分からない。何を言おうとしているかが理解できない。それは、私もまた、この本の中で酷評されている、最近の読解力がない一人であるからに違いないし、いくら読書をしても中身の薄い本を読んだところでそれは娯楽であるから何ら思考力を育てないものだ、と批判されている当人であるからなのだろうと諦めた。
 そもそも、他人の悪口が多い。悉く、社会や世の中の悪いところが単発的に挙げられ続けていく。たしかに、世の中は完全ではない。だから、いろいろ悪いところを挙げればいくらでも挙げられるものであろう。だが、それらの悪いところの根本は何であるのかとか、それらを解決していくにはどうすればよいかとか、発言するからにはそういう提案のようなものがあって然るべきだと思う。それが、どうにも見つからない。
 私もまた、世の中に対して大いなる「つぶやき」を果たしている。それをお読みの方も、やはり「わからない」とか不愉快だとかお考えになるものだろうなと自省することしきりなのだが、それにしても、この本の叙述は、恰も著者が考えていることはすでに読者も当然知っていなければならないような前提で、落ち着きなく話題がころころ転がっていき、その轍には、決まって世の中の仕組みや人々の考えの欠点ばかりが並べられて傷つけられていくように見えてならなかった。
 そのことは、この頭の良い著者の文章の中にも言える。とにかくふだん使わないような難しい言葉が多い。普通、書く側は、これはストレートに伝わりにくいかもしれない、という配慮をするものである。そして、たとえその語を知らないにしても、それと類推できるような言い換えを近くに置いたり、例示を試みたりして、読者が辞書を引くようなことがないように考える。ところがこの著者は、悪い表現をとればまるで奇を衒うかのように、つまり奇抜なことや難しい言葉をわざと使い、こういう難しいことを自分は知っているのだとひけらかすような態度を取っているかのようにも、見えてしまうのだった。「こんな言葉も知らないの?」とでも言うように、難度の高い語を使い、思いついた話題を次々と振りまいて読者を「まく」ようにして、それでいて一つ一つの問題に誠実に対して答えていこうという態度はどうしても見えない。世の中みんなおかしいよ、とばかり言いながら、様々な街の風景を言葉で蹴飛ばして通り過ぎているように感じられるのである。
 もちろん、そんなふうに見えるのは、あなたの頭が悪いからですよ、と言われるのは承知している。だが本当に、この著者が何を言いたいのか、分からない。少なくとも、何か受験に「迷う」親に対して、導きの光を与えたり、考え方の基盤を提供しようとしたりしているようには、到底思えなかった。
 強いて言えば、というかこれしかないと思うのだが、自分の行っている教育を「買え」というふうなことを言う。それが具体的に何をどうするという説明もないし、理解してもらおうという気持ちも見られない。読む者を、世の中のすべての事象に対して否定的に暗い思いを抱かせ、もしそこから救いがあるとすれば俺の教育法だけである、それを教えてほしければ……という思考回路が感じられるのが、不愉快だった。
 具体的には挙げないが、差別的な言葉を平気で、他人や他人の考えをこきおろすために多用するのも私は気になった。言われた立場の人の痛みを少しばかり想像してしまう私なら、決して比喩としても使わないような表現があちこちにあるのだ。
 きっと、文が巧すぎるのだろう。この人は偉いのだろう。そして、これを理解できない読者は、愚かなのだろう。私は、この本を読んで何かよいことがあったかというと、何もなかった、と言わざるをえない。




Takapan
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