本

『細胞の不思議』

ホンとの本

『細胞の不思議』
永田和宏
キム・イェオン絵
講談社
\1500+
2015.3.

 京都の方であり、ずっと京都を地盤として活躍している方である。物理学専攻から結核・癌の研究を続けてきて、基礎生命、つまりこの細胞という方面に的を絞ってきているような歩みをしているように見受けられる。
 一般の人に、細胞について知ってほしい、そういう願いがこの本に満ちているように感じた。タイトルには冠として「すべてはここからはじまる」とある。「すべて」には、生命そのものの意味が当然あるが、癌のような病気についてもそういうことなのかもしれない。中学生にも読めないことはないが、高校生あたりが最も適しているのではないだろうか。もちろん、大学生や一般の人、とくに理科的な方面の議論には加われないような多くの人々に、はっきりと狙いを定めている。その雰囲気を伝えるための、可愛いイラストの表紙でもあるだろう。このイラスト、本文の中にも時折見受けられるが、たしかに内容を踏まえてはいるものの、ともすればさしたる意味もないような形で付けられているようにも見え、もしこれらのイラストが一切なくても私には内容的に魅力溢れる本だと言えるのであるが、手に取りやすさやイメージ的な点で、和らぐものを醸し出しているという点では、効果的なイラストであったと見るべきであろう。
 自らの研究についての証しと、その内容の一般的な理解を求める思い、また教育的な配慮、そうしたものがこの見事な本を生み出したことは当然ではあるが、私は、STAP細胞事件が筆者を突き動かしているような気がしてならない。この本は、その名前は出さないにしても、最終的に、あたかも付け足しのようではあるが、ES細胞やiPS細胞の話題で結んでいるのだ。非常に読みやすいこの本の結末で行き着くところとして、これは相応しいものであった。新聞記事などで大まかなところは聞き知っていたような気がしていた私であったが、この本を辿ってきて初めて、ES細胞やiPS細胞の意味やメカニズムについて納得ができたように思えた。
 構造的な叙述というよりは、教育的な叙述と呼んでよいだろうように思う。ただそのまま読んでいき、導かれるままに楽しんでいけば、自然と理解が深まる。理科の読み物としてこのような構成は実にありがたい。私もそう目指したいと願うものだ。やはり楽な観光コースはありがたいし、適切な順序で展示されていくことにより、自然な理解が積み重ねられていくものであろう。数式も複雑な法則も何もいらない。そして、細胞や物質の働きについては、適切なたとえというものが実にうれしい。身近な現象や他の構造と比較することにより、なるほどそういう意味でそれが行われているのだ、とか、反応の理由はそういうことだったのか、とか、すんなりと理解できる。私は理科系とは言えないので、これは大いに助かった。高校の生物学を学んだときに、もしこの本を読んでいたら、何の悩みも迷いもなかっただろうと思う。
 細胞の数や種類に始まり、そのはたらきが分化される様子、とくにそこで細胞の中にいわば別物が住みついているというあたりから面白さが増していく。そして、では生命とはそもそもどういうことなのであろうかと問いかけが始まり、その生命の元はどういうことか、にも目を向ける。そして細胞が実際どのようなメカニズムで生命活動を営んでいくのか、これも高校の生物学の基礎レベルで巧みに語りかけてくるものだから、まるで細胞が友だちの活動であるかのように身近に感じられてくるから楽しい。人間社会にも喩えられるような中で、もう新聞の細胞についての記事のレベルを超えてくるし、私の知る限りの基本的に知っておきたい内容が実に噛み砕かれた形で次々と紹介されてくる。こうして、最後に再生医療に行き着くのだ。
 なんとか細胞や再生医療に関心をもつ人が、何か訳を知りたいと思っていろいろな記事や本を開いてみたものの、そして一応そういうことなんだなと納得はしたものの、まだ何かしっくりこないとか、腑に落ちないとか感じている場合には、この本はお薦めである。誠実に生物学が示され、言葉だけでは足りないところはちょっとした図解があるのでたいへん理解しやすく、時にちょっとはみ出しながら、興味をくすぐる形で説明が続き、もう読みながら「へぇ」の連続のようなありかたで、いつの間にかちゃんと分かるようになる。まるで魔法のような一冊である。なるほど、そういう面からも、これは「すべてはここからはじまる」本であったのかもしれない。
 なお、私が知る限りではあるが、人間の細胞が60兆だといわれる根拠についてきちんと説明がされていた本は、ここで初めて出会った。そして、それがさしたる根拠がないということもよく分かった。これは、実はかなりうれしいことであった。
 STAP細胞について芸能記事のように見てばかりいた方々がいたとしたら、もったいないというよりも、ある意味で無責任に非難の矢を浴びせていることになるかもしれない。せめて、その細胞の働きについて基本的な理解をした上で、事態を見つめるのでないと、壁紙とか割烹着とか、そういう程度のものですべてを判断してしまう愚行を犯すことになるかもしれない。首相のネクタイの色しか話題にできない者が選挙に行くみたいな民主主義がいかに危険なことであるかは誰にでも理解できると思うが、同様に、ミーハーだけで科学を断罪したり意見を言ったりすること、また逆に自分とは関係ないもののように遠くから眺めているつもりになったりすることは、やはり非常に危険なことであることも、理解したいと思うのだ。




Takapan
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