本

『びんの悪魔』

ホンとの本

『びんの悪魔』
R.L.スティーブンソン
よしだみどり訳・磯良一画
福音館書店
\1050
2010.4.

 世界傑作童話シリーズとある。小学校上級から、とも。妥当な判断だろう。
 名作『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』などで知られるスティーブンソンの手による、比較的短い童話である。いや、けっこう読み応えがある。そして、そのストーリーテラーぶりには引き込まれるものを覚える。さすが、と言うほかない。もう亡くなって百年以上経つのだが、少しも古さを感じさせない。それほどに、人間の心の奥底の真実の部分を突いているのだ、と言えばよいだろうか。
 原題もまさに邦題の通りなのだが、この「悪魔」という語は、ちょっと茶目っ気のある悪魔、あるいは悪魔の子というイメージで使われる語であるようだ。サタンとかルシファーあるいはディアボロスとかベリアルなどと呼ばれるような代物ではないようだ。
 物語は、まずある男の紹介から始まる。ここですでに、ストーリーテラーがいるということが前提となっていく。その男は仮名にしておくということで、さも真実味のあるお話だという雰囲気に、一瞬のうちに読者を誘ってしまう。
 彼は船乗り。サンフランシスコであるとき、立派な家に見とれていると、その男に呼ばれて身の上話を聞かされる。この家は、びんの悪魔により建ててもらったというが、そのびんを売ろうというのを聞いて、主人公は半信半疑。しかし、目の前で不思議なことが起こるので、買いたいと思うようになる。ただし、このびんを所有しているときに死んだら永遠の地獄に行かなければならないので、生きているうちにこのびんは、他人に売る必要があると聞く。しかも、自分が買ったときよりも必ず安い値段で売らなければならないのだそうだ。もしごまかしても、びんはちゃっと正統な所有者のところに戻ってきてしまう。逃れられないというのだ。
 さあ、念願の家を故郷ハワイに建てたいと願う主人公。果たして故郷に戻ると、おじが死に、巨額の財産が転がり込んでくる。それで家を建てることができた。悪魔に願った通りになったのだ。
 そうして、彼はある日、波打ち際に美しい女性を見る。結婚したいと思い申し込むのだが、このとき、実はあの女性が欲しいのだ、などとびんの悪魔に願ったとはどこにも書いていない。つまり、この女性への愛は、悪魔の力で得たものではなかったのだ。私は、ここがこの話のキーポイントではないだろうかと思う。この女性との関係は、悪魔とは無関係の領域であるのだ。事実、この後この女性との生活の中で、ちょっとあの『賢者の贈り物』のようなすれ違いの中の思いやりが働いて、悪魔との関わりに悩んだり喜んだりすることになる。そこはネタバレとなるので、もうストーリーそのものはここでは記さないようにしよう。
 いったい、このびんの悪魔なるものは、何を指しているのか。作者にも何か意図があったかもしれない。また、評論家や研究家も、ある意味で答えをもっているかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいような気がする。何の喩えであるのかなど、決めてしまう必要はないのだ。私たちは、このようなびんの悪魔をどこかにもっている。また、愛する人がもっているのを知る。訳者があとがきに記しているように、まだ天国や地獄が素朴に信じられていた時代の産物であるのも確かだが、その割には、悪魔への挑戦のようなものや、悪魔を利用してやろうという意図が非常に強く働いている。悪魔の誘いに乗ることもあってよい、というような書きぶりであるようにも見える。どこまでが皮肉であるとか、批判であるとかいうことは、やはり分からない。
 分かるのは、これは子ども向けで終わってよいような話ではない、ということ。大人の方々こそ、真剣にこのびんと立ち向かわなければならないと思われてならないのだが、どうだろうか。




Takapan
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