本

『水族館で働くことになりました』

ホンとの本

『水族館で働くことになりました』
日高トモキチ
メディアファクトリー
\1000+
2015.4.

 水族館で働き始めた若い女性を通して、水族館の姿を描くマンガ。言ってしまえばそれだけのことだが、作者の体験そのものではないにしろ、誰かの実体験や取材に基づく、内容的にも信頼のおける「お仕事コミック」である。
 主人公に特別の魅力があるわけではない。むしろ、動物が好きで、水族館で飼育員として働きたいという願いを持ちつつも、その夢叶わず、せめて水族館のインフォメーション係としてようやく就職を果たした女性が、すみだ水族館の面接試験を受けるところから物語は始まる。東京スカイツリータウンに実在する水族館である。この具体性が、物語にリアリティをもたらす。キャラクター自身は架空のものだが、すみだ水族館の実際をここから描くことができるということになる。
 そうなると、不思議なもので、水族館が異常に好きだというほかに特別なキャラ性のない主人公が、たいへん魅力的に見えてくる。夢をもちつつも挫折を味わっているような読者がいたら、何か共感できるのではないだろうか。
 マユミが飼育員として働き始めてからについては、物語は様相を変える。そこから始まる人間模様として、意地悪をされたり辛いことを経験して成長する、というようなありがちな進展とは違い、ここからはひたすら、水族館の生物が主役になる。つまり読者は、人間ドラマとしてこれを見ていくというのではなく、水族館の実態とそこに住む動物たちへの関心を強くしていくことになるだろうと思われるのである。
 こうした狙いはひとつの最近の路線でもある。特別な病気について読者の理解を深めていくような内容、ある特殊な仕事分野の様子を描き、その業務や有様について理解を深めていくというようなものである。読者は知らず識らずのうちに、その世界についての見聞を経験し、知識を増やしていく。病気や障害については、こうした方法で理解を広めることが効果的でもあるだろう。また、存在は知るがその内容は知らないという世界についての、読者の好奇心を満たすというはたらきもあると言えるだろう。
 そこへ行くと、この水族館物語も、水族館について理解を深めてくれるということは間違いない。そこで働く人の苦労や実際についても知ることになるだろう。だが、それで尽きるというものでもないようだ。
 主人公は、ひたすら水族館が、そしてそこの生物が好きである。子どものころから、どこかに行くかと問われれば必ず「水族館」と答え、通い詰めてきたという。しかし知識としては、図鑑にあるようなことしか知らない。それで現場で生きたものと触れあっていくうちに、感じ方がまた変化していくという成長も見える。私は、この女性と共に、生き物に対して近づいていくような感覚を覚えた。そして、ひとつのクラスマックとして、ペンギンの死が描かれるのだが、ここで私自身驚いたことがあった。マユミは、目の前でペンギンが死んだそのときには、涙は出なかった。だが、その後、そのことを人に説明しようとするときに、号泣してしまうのである。どうしてあのとき涙が出なかったのか。それは、悲しんでいなかったのではないか。そのような自分についても泣いていたのである。このことについて、飼育員の先輩が、一言告げる。それは悔しかったのだ、と。そして、飼育員としてそれでよいのだ、と。私はここに心をたいへん動かされた。共感できた。この場面で、物語がいい終わり方をしていくことになる。次に、新しい生命の誕生で歩き始めることにより。
 京都精華大学にはマンガ学部という、特異な学部があるのだが、作者はここの講師であるという。しかも、様々な場面でマンガと触れあってきて、様々な立場を経験しており、自身水族館が好きで好きでたまらないそうなのだが、そういう愛情も描かれていると分かるし、マンガとしてもさわやかな風をもたらし、読者に心地よさを与えてくれる。絵そのものが最高に「巧い」部類ではないかもしれないが、マンガはこれでいい、と思った。そして、よく見ていくと、間違いなく「巧い」のである。




Takapan
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