本

『絆・進行性神経難病ALSとの共生を模索する一内科医の手記』

ホンとの本

『絆・進行性神経難病ALSとの共生を模索する一内科医の手記』
川ア晃一
海鳥社
\1575
2013.1.

 福岡の方である。九大医学部を出て、基本的にその九大内で医療と研究に携わって来たそうである。定年退官後は、九産大で活躍したが、そのころ、ALSの疑いが出てきて、治療をしつつ仕事をしていたのだという。出版時点で、要介護5の生活を送っている。  この本は、先に出版した『吾唯足知』という、その病歴ならびに自叙伝を、一般向けの体裁にしたものだという。というのも、先の本は、自主出版に近いものだったわけで、それが、多くの人の要望があったためにそれに応える形で、この『絆』をメインタイトルにした形で出版したのだという。
 個人的な自叙伝が最初から続く。本人にとっては思いのこめられた事ばかりであろう。読者は、さしあたり知らないことや共感できないことが多いのかもしれないが、この著者を理解しようとするからには、なかなか聞きやすく記されている。いくら医師や教授であるにしても、要領よく自分の生い立ちを語るというのは、必ずしも簡単なことではない。幼い頃のことから、どのようにして医学の道に進んだか、そして当時の状況を説きながら、どういう選択の中でどういう歩みがなされてきたのか、適切に紹介されている。そこには、いろいろな人への感謝の言葉や心があり、読んでいても清々しい。
 それから、ALS発症に触れる。ここからが三分の一を占めるわけで、ともすれば病気のことを多大に述べたいであろうに、そこまでの自分に三分の二を費やしているのは、やはり周囲の人々への心づかいというものではないだろうかと私は想像する。
 ALSというのは、進行性の神経難病である、筋萎縮性側策硬化症のことである。日本で8000人足らずの患者だというので、少ない部類に入る。これは原因が分からない。治療法もない。余命は数年と言われ、発語障害や嚥下障害を伴いつつ、呼吸に影響が出ると死の危険が高まるという進行具合だという。紹介されているのだが、これはアメリカでは、「ルー・ゲーリック病」と呼ばれるのだという。連続出場記録を持っていた野球選手として非常に有名な人だったのだが、現役時代に発症した。全身の筋肉が衰えていくという宣告は、プロのスポーツ選手としては死の宣告にも等しかったことだろう。1939年の引退セレモニーでは、自分は世界一幸せだと語り、永遠に語り継がれることになったのだという。発症後七年ほどで亡くなった。
 患者がすべて同じような途を辿るとは限らない。現れる症状は様々である。この著者の場合、すでに発症後十年以上を経過しているだけに、さすが医学者としてよく管理されていると言うべきか、この人の場合のまた強さのようなものと言うべきか、それは分からないが、病気と闘いながらこのように自叙伝を書くことまでできている。こうしたことは、同じ病気のみならず、様々な難病と闘う方々にとり、励みになるかもしれない。だから、できることをやり、世に問うていくということは、誰かの助けになるということが、大いにありうるのである。
 本を閉じる前に、死の受容というテーマで考えはじめる部分がある。自ら医学者として向き合って、また見送ってきた死というものに、今自分が出会おうとしている。それを、呑み込まれるようなものとして受け止めるか、静かなものとして受け容れていくか、思えばそこにこそ、人生観は完成されていくものなのかもしれない。著者は、穏やかにこれを考察し、説明していく。自分の心の中のものを、品良く置き並べている。感動的なくらいに、達観した叙述が流れていき、拍手を贈りたくなる。
 だが、これは他人事ではない。誰もが、自分の問題となることである。それでも、こうした心境になれるかどうかは分からない。そもそも、私がこの著者より後まで生きているという保証すら、本来はないのである。それはいつ訪れるか分からない。まさに神のみぞ知ることである。著者は、一定の宗教の中に解決を見たり、求めたりはしていないようだ。その中で、こうした静かな眼差しをもっているのだとしたら、科学者としてさすがだと唸るほかはなさそうである。この姿勢にとやかく何かを言うことはできないだろう。そして、自分自身も、その外に立つことはできないであろう。
 そうした意味で、こういう生き方を聞き知ることは、読者の誰にも、有益であると言えるのではないだろうか。そして、尊敬の念を払うことが必要ではないだろうか。
 高校時代に学んだ書道に、この時期になり、再び取り組むようになった著者。本の表紙の「絆」ももちろんその著者の書である。そしてこれは、東日本大震災への思いを踏まえているものであることも確かである。考えてみればこの「絆」、切ろうにも切れない束縛のことである。誰もが死という事柄と結ばれていることを思えば、断ち切れない絆たるものが、その深いレベルで存在していることを思わされるはずである。決してこれは、流行り言葉で終わるようなものではないと自戒すべきであろう。




Takapan
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