本

『憧れと福音』

ホンとの本

『憧れと福音』
R.ボーレン
加藤常昭訳
教文館
\2500+
1998.2.

 ドイツの実践神学者ボーレンが、日本に来て講演したものを集めたもの。日本人向けに書かれ、語られたものである。中には、他でも話したものが含まれるが、オリジナルのものが多い。これを、その友人でもある加藤常昭氏が、こなれた日本語に直して提供してくれた。
 題が不思議に聞こえるが、これは著者自身がつけたもので、本書は「憧れ」と題する文章で始まるような形式をとる。確かに、神学からすると、馴染みのない言葉である。だが、いまここにある自分から別の自分を求めるという心は、私たち誰にでもあるものだし、そこに自分自身が変えられていくという前提を含むのであれば、言わんとしていることは少しずつ納得できてくる。でないと、この憧れの念は、アガペーに対立するエロースの方向性と受け取られてしまうからだ。
 新しい都、天のエルサレムを待ち望むマラナタの叫びは、憧れの最たるものかもしれない。著者は、この「憧れ」の概念を、「新しい人間」という捉え方で落ち着こうとしているように見える。見つめる先には、永遠の命がある。そのあたり、私はうまくまとめられないが、どこか詩的に、味わいのある講演であった。
 カール・バルトについての、直に知る人でなければ描けない、極めて人間くさいその姿の描写は、本でしか知らない者にとっては新鮮であった。だが私にとり大きかったのは、教会の一致と分裂と題したものと、もうひとつ同じテーマのものがあり、これは教会における説教の意味を問うものであった。前者は礼拝というあり方における説教を、そしてもうひとつのほうは、説教者個人の立場から問うものであった。関心の持ちようによるかもしれないが、恐らく私たちにとり最も心して聴くべきは、これら日本における説教の問い直しではなかったかと思う。
 後者は、「説教者の新しい存在」と題するものである。新しい歌を主に向かって歌えという詩編の言葉が、この講演の中から響いてくるように私は個人的に感じた。私たちは変えられなければならない。神を生きた神として、ほんとうに捉えているだろうか。神が生きているならば、いまここで起こっている新しい出来事に背を向けていることはできないはずである。神についてのジャーナリストたれ、というほどには強く述べていないが、私は、煮えたぎるような著者の心を覚えた。説教は牧会であり、祈りである。そうして新しい人間を生むには、断食が必要である、と思いが高まっていく。
 講演である。勢いがある。実際に語っている様子は知るべくもないが、穏やかで淡々としていたであろう。通訳者がいるということは、一つひとつ区切って語られたのであろう。だが、その「間」のある語り方の中に、日本を愛し、日本における福音の実現を祈り続けてくれた著者の愛と熱意を感じずにはおれない。そのような思いや、講演時のエピソードを、訳者は逐一書き込んでくれている。これが、実に味わいがある。非常によい構成であろうと思う。こうした友情に、私は憧れを抱く者である。




Takapan
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