本

『愛における自由の問題』

ホンとの本

『愛における自由の問題』
北森嘉蔵
東海大学出版会
\1200+
1966.10.

 すみません。ずいぶん昔の本を引っ張り出してしまった。今、amazonで見ると、この本は1700円前後で出ているようだから、必ずしも価値を失っているというわけではないらしい。日本の神学者の中でも、海外に比較的知られる1人であり、独特の神学を提供していることで有名な著者である。著者は、当時のNHK古典講座というラジオ番組の中で講義された内容がまとめられた本書において、「ルター『キリスト者の自由』を中心として」という副題のもとに、愛と自由とを論じている。そのラジオでの語り口、すなわち敬体によって語り続けられるために、あまり堅苦しくない響きで最後まで読むことができるため、決して読みにくい本ではない。まして、ラジオで語られたというからには、一回聞いて呑み込まれていくものでなければならないわけで、分かりにくいはずがない、と言うこともできようかと思う。
 さて、講座がこの項目どおりに語られたとすると、24回に分けられていることになる。最初は、愛の問題である。いわゆるエロースとアガペーとの違いである。これは、現代神学においては、かつて言われたほどには区別されていない。スウェーデンのニーグレンという神学者が、1930に著した本で顕著となり、受け容れられた定説ではあるのだが、聖書に使われたギリシア語の中にエロースはなく、そこで明確に比較されているとは言えないせいもあり、近年の研究では、アガペーという語の中に神学を盛り込むことは避けられようとしている。だが、本書が著された頃は、まさにこの区別は絶対のようなものであり、ギリシア、特にプラトンのエロースの思想に対する、キリスト教のアガペーとの対比は歴然としていた。項目の中で、これらがゆっくりと語り深められていく。
 だが、著者は、安易にこれらを比較しているという様子はなく、確かにひとつ有意義な指摘がある。それは、人間から神を慕う愛は、極めてエロース概念に近いものである、という視点である。無価値なものに注がれる神の愛をアガペーとするのはそれでよしとして、しかし、神に憧れ神を慕う、いわば麗しいキリスト信徒の思いそのものが、実は自己中心の思想、価値ある神を愛する愛であることに、気づいていなければならない、とするのである。
 その意味で、著者は、アウグスティヌスに厳しい。教父哲学の代表であり、カトリシズムの二大双璧をなすアウグスティヌスをつかまえて、これはエロースの変形である、と断ずるのである。当時、そういう説が発生し、著者も惹かれたのてはないかと思う。つまり、アウグスティヌスは最初哲学に目覚め、その後キリスト教に回心するのだが、彼の回心は、実のところ最初の哲学の時が最大なのであって、価値あるものに憧れるようになったその精神状態が、対象を神に換えたのが二度目であるに過ぎない、とするのである。つまり、アウグスティヌスの愛は、価値ある神に憧れるものであり、この精神が、カトリックの考え方をより上昇的に定めていった、とするのである。
 講義は、残りの4分の3がルター一本になるが、そのルターの生い立ちなどを話す中で、このアウグスティヌスとの対比が随所でなされ、専らルターの考えに同調し、それを讃え、アウグスティヌスについては終始、神の愛とは性質を異とすると言い続けることになる。カトリックの堕落などをきつく責める割には、ルターに対しては絶賛するような姿勢が貫かれており、プロテスタントの言い分だけを強調しているようにも見えるのが、今日からの眼差しで窺える本書の限界であろうか。あるいは、よくぞこのように偏った内容が、NHKで長々と放送されたものだ、という不思議さも覚える。カトリック側からの反論やクレームなどはなかったのだろうか。当時は、そういうクレームなどは起こせないような状況だったのだろうか。
 ともかく、こうして今度は後半、ルターの著作『キリスト者の自由』の内容が詳しく辿られることになる。宗教改革についての一昔前の一定の言明がふんだんに現れ、どこか懐かしい香りさえするのであるが、今日そこから意味を聞くには、その行き過ぎた点を割引きながら、そして内心修正しつつ、味わっていくのがよいかもしれない。
 また、自由概念とすれば、当然、カント哲学についても言及される。が、実のところそこは深められていない。カント哲学を紹介するのが目的でないとはいえ、あくまでもルター主体のためのおかずをなしたに過ぎなかった。
 最後に、「宗教改革の本質」と題する論文が付せられている。ラジオ原稿の3分の1ほどの量であるが、本書がひとつにまとめられるにあたり、適切な補助解説となるものであろう。ラジオ形式でなく、論文形式でも、支えるものがあることは、本としてはよかった。
 ただ、あまりにもルター万歳で貫き通した講座でもあり、読む側の心の準備が必要かと思われる。哲学についてのある程度の知識や教養も要求されるものであり、これだけの内容のラジオ講座が通用した半世紀前というものについて、驚くばかりである。
 この時代の四半世紀前には、カトリック側の聡明な学者神父が、壮絶にプロテスタントを批判する威圧的な活動をしていた。こういう流れの中で語られた講座であったかもしれない。当時はそのように、エキュメニカル運動以前であり、カトリックとプロテスタントとの間には、深い溝と対立があったのである。この時代性も覚えつつ、学べることがあったらいいと願う。
 プロテスタント側からも、カトリックを自由に愛したいものではないか。




Takapan
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