本

『矢内原忠雄』

ホンとの本

『矢内原忠雄』
赤江達也
岩波新書1665
\840+
2017.6.

 無教会と呼ばれるキリスト教のグループは、日本が生んだユニークな教派であるとも言われる。いや、これを教派と呼ぶと誤りだと指摘されかねない。教会という組織を外れることをモットーとしているのだから、その聖書と神への忠実さそのものを理解することが必要なのだ。
 内村鑑三が、西洋の教会組織を現実に体験して失望したことや、日本における組織的な教会に命がないこと、また力がないことを嘆き、そうした既製の教会の欠陥ある信仰の姿を、聖書に帰ることで健全にしようという思いから作られたグループである。教会というこれまでの呼称から一線を画した共同体。これは、とくにまた高い教育を受け教養ある人の首肯するところともなり、こうして東大総長を務める矢内原忠雄のような人物を多く生んでいる。内村鑑三の、論文や主張に共感していくからである。
 副題が「戦争と知識人の使命」。新進の研究者が、その無教会の研究を買われ、岩波新書にその見解を問うこととなった。それは、矢内原忠雄の中に知識人としての眼差しや生き方を見るとともに、自らを預言者として自覚して振る舞っていたという理解である。これらは決して矛盾するものではない。だが、社会学専門の著者から見て、社会経済を大学で扱っていた矢内原の言動は、一見時代的に移り変わっていくように見えている点が気になるわけである。もとより、矢内原にとり、神の問題や聖書の理解を、手段として、社会科学のために使うということはありえなかった。どこまでも聖書が上であり、聖書の原理こそ究極のものであったというように捉えている。だからむしろ、社会を理解するフィールドが、社会主義・全体主義・民主主義へと変遷を辿るのも、なんとかして聖書の神が世の上から支配していることの説明のようにさえなっているとして、統一的に理解してよいのだという観点なのであろう。
 調査は細かい。その生い立ちや人間関係、置かれた情況や様々なエピソードを踏まえ、また再臨への関心の高まりとその薄れなどをも、その社会学的な理解と関連させて考察して提示するなど、切れ味がいい。新書らしく、一読で理解するという方針の中で、注釈などの寄り道がなくても、一気に読ませる文章力をも感じた。写真や資料もほどよく用いられており、まとまりのよい本となっている点もいい。
 歴史家ではないので、私には、この解釈の適切さやその逆が判断できないのだが、むしろ精一杯学ぶつもりで読ませて戴き、また、これは私への挑戦でもあると受け取らせて戴いた。矢内原は、天皇制を掲げている。もちろん、天皇の上に神がいるという前提である。だが、この日本国をまとめるために天皇が必要であるという理解である。太平洋戦争後には、天皇にキリスト者になってほしかったらしいが、それが適わぬことで失望の意を示している。いまそれを聞けば当たり前だという気もするのだが、矢内原はかなり真剣にそれを考えていたらそい。ただ、その昭和天皇の子には、キリスト教的な教育が施されているわけで、そのスピリットは何らかの形で影響を与えているのではないかと見受けられるから、矢内原の願いもまんざら無意味に終わったわけでもないのではないかと思われる。
 矢内原の思い描く伝道は、個人的な信仰というよりも、この国の救いへと眼差しが向けられていたのだ、というふうに捉えられるという。いわゆる矢内原事件により大学を辞めさせられた初期のときにも、それでむしろ伝道活動が自由にできると考えたらしいが、戦時中も、そのような立場故に必要以上に睨まれることがなかったのは幸いであった。それで肩肘張らずに信仰の立場を貫く活動が比較的できたほうであり、統一されたキリスト教会のように、君が代に始まり天皇を拝む主日礼拝を続けたようなありさまではなかった。また、それも時代の中でやむをえなかったと私は理解してあげたいと思うし、それを意気地なしだなどと突きつけるつもりはないのだが、そういうふうに屈することのなかった矢内原が、戦後に今度は英雄のように迎え入れられたというのは、彼にとり幸運であったとも言えるだろう。
 個人的な信仰よりも共同体や国家全体の救いを願って止まなかった矢内原の伝道だったが、皮肉なことに、無教会という、教会共同体を否むようなあり方を徹していたのと、強烈な個人的確信に基づく矢内原の姿勢とがそれを生んだというあたりが、逆説的であるようでもあり、また、神の深さを余計に感じさせるものである。私の目にはそのように映った。




Takapan
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