本

『世界予言全書』

ホンとの本

『世界予言全書』
トニー・アラン
真田由美子訳
原書房
\2415
2011.10.

 預言者ではなく、予言者。聖書に親しむ人は前者がおなじみだが、世間的には後者が普通なのだろう。未来を言い当てることができる人のことだ。これは神秘だ。何かとミステリードラマの素材になる。オカルト趣味には欠かせない。しかしそれは、現代人だけの特徴ではない。古来人は、予言を気にし、憧れ求め、利用してきたのだ。
 この本は、堅苦しい学術書ではない。かといって、いいかげんな思いつきで作られたというようなものでもなさそうだ。かなり丁寧に調べ上げられ、幅広い資料に基づいているわけだが、そのわりには叙述が簡潔で、ほぼ一定の短い分量で一つの項目がまとめられている。信頼性のある叙述のわりには、読者にとり興味深い内容を取捨選択の上紹介してくれているように感じる。つまりは、楽しい読み物だということである。
 そのように、一つ一つの項目は関心深いことがたくさんあるだろうと思われるが、私はこの本について言えば、「はじめに」をまず見て戴き、著者の姿勢を感じることが必要だと思うし、できれば次に「訳者あとがき」を見るとよいと思っている。そこには、この本を貫くもの、どのような姿勢で読むと最もしっくりくるのかが書いてある。
 とはいえ、たんに興味本位からぱらぱらと見ていくのも悪くない。
 まずは「神々」のレベルだ。古代から、あるいは文明化しない環境の中で、どのように予言が扱われてきたかの紹介である。これが世界各地に及び、なかなか楽しい。初めのほうで、卑弥呼がコラム化されているのがまた日本人にはうれしいものだろう。歴史の中で予言が取り沙汰されたときの史料が様々に紹介されていく。
 次に夢との関係。これは聖書にも記事があるが、いくつかの夢にまつわる記録が扱われる。
 それから、占い。占星術はもちろんのこと、東洋の易経にも関心は及ぶ。私などは疎いものだから、タロットカードの由来についてもこの本を見て初めて知った具合である。
 そしていわゆる予言者。千里眼とも言われる。ここに有名なノストラダムスが登場する。これはやや多い頁が割かれている。もちろんそれでも十頁ほどだから、ノストラダムスの全体を覆ったことになどならないが、要点はよく伝わる。その曖昧な言葉がどう解釈されるのか、またよく適合したところばかりが取りあげられるが、そうでないところを真正面からきっちり取りあげることで、そもそも予言たるものに根拠を置くべきではないことが主張されているのであろう。
 だから最後にこの本は、未来を考えるように導かれる。ダ・ヴィンチもまたそのように、将来現れるものを思い描いていた。ここには一定の科学性がある。こうして今や、科学という手段により未来が予見されていくことができるようにもなっていく。しかし、それがすべてではない。科学だけで未来が決められていくことはないのだ。歴史は、人のなにげない思いつきや為政者の気まぐれにより大きく動き変化してきた。これからもそのようでないと、誰が言い切れよう。科学理論で未来が決定していくほどに、人間は従属的ではないのだ。
 筆者は、何らかの立場からこの本を描いている。だからそれに従いたくない場合は、コメント調の書き方が気に入らなく思われるかもしれない。たんに百科事典のように、公平に客観的に記せばよいのだ、と思うかもしれない。しかし、それでは味がない。予言についてどのように考えていようとも、これほどにまで多くの項目を取りあげて人類の知恵あるいは歴史を貫くものを概観しようという試みは、筆者が自負するごとく、これまであったようには思われない。
 そして私たちは、自分自身が未来を決める一人の存在であることに思いを馳せる。予言はまた、自ら責任を負う何かであるような気がしてくるのである。




Takapan
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