本

『テヅカ・イズ・デッド』

ホンとの本

『テヅカ・イズ・デッド』
伊藤剛
星海社新書53
\940+
2014.9.

 もともと2005年に出版された本だそうだ。マンガ評論というジャンル名でよいのかどうか知らないが、よくぞこれだけのことを論じられるものだと感心する。いや、正直、よく分からない。
 マンガは嫌いではない。読むのが面倒だな、と思うことは多々あるが、やはりマンガが生まれたころからポピュラーにあったし、テレビアニメなんかは何よりも大好きで夢中になったクチである。マンガに関心がないはずがない。だが、書店に行ったときのあのマンガあるいはコミックスと言うべきか、その棚の巨大さには驚くばかりである。もちろん、他の本のほうが数は多いだろう。だが、他の本は、その分野なりタイトルなりで、どういう方向性をもった本なのか、内容なのか、それなりに把握できる。文学は内容までは分かりにくいが、やはりいくらかは内容の見分けが可能な範囲にあると言える。だが、マンガはそうはいかない。絵を見れば、少しでも雰囲気は分かるが、それでも、おかしい話なのかシリアスなのか、言葉に含蓄があるのか、怖いのか、なかなか見分けがつかない。マンガに慣れた人はそのあたりが分かるのかもしれないが、何気なく手に取って開いたマンガの本が、とても子どもには見せられない内容であった、などということはままありそうではないだろうか。
 そもそも、「マンガ」という一括りで評論が成り立つものなのだろうか、とも思う。それはまるで、「本」というジャンルで評論をしよう、というような姿勢に近いし、だから評論をしようにもどこからどのように読み、触れていけばよいのか、途方もない試みだということになりはしないだろうか。
 また、そもそもマンガというもの自体を真面目に取り上げて評論する意味等あるのだろうか、という声もあるかもしれない。かつてはそれが基本で、マンガが子どもに悪影響を与えるしくみ、などということが論じられるようなものではなかったか。いろいろ先人はいたものの、マンガ評論なるものがポピュラーになったのは、私の印象では夏目房之介氏からである。
 そもそもマンガとはいったい何なのか、という定義自体も難しいのかもしれないが、ともかく私たちにとりもう生活の一部となっているようなマンガなるものを、正面切って分析していくというのは、決して楽なことではないと言えるだろう。
 前置きが長くなったが、伊藤剛氏は、大学教授という立場でまともにマンガというものを研究対象にしている強みがある。従って、分析は広範囲で、また深い。表層的な印象などで片づけることなく、またたんに収集しているというようなレベルでなく、その背後にある構造や心理などを踏まえ、多角的に考察している。従って、その故に難しいという問題もある。
 この本のタイトルは、もちろん手塚治虫を表すのであるが、マンガの世界では当然のことのように、手塚治虫がこの漫画界の基底に大きく存在し、マンガの形式や内容を現代的に形成したのは手塚治虫である、という理解が通っているという。しかしそれは、一種の神話ではないか。もしそうだとしても、どのような意味でそうなのか。これは考察するに価値ある内容であろう。というのは、1989年に巨星墜つという新聞見出しにより手塚治虫の死が報じられて以来、マンガがつまらなくなった、という声が起こっている。手塚治虫の死により、それまでのマンガがひとつの終わりを告げたというのは、たんなるこじつけではなさそうである。今なおマンガは描かれている。そしてその数や膨大であり、評論家といえども全部に目を通すことは不可能になっている。根強いファンも増えている。が、それでも、何が「つまらない」などと言わせているのだろうか。年配の、昔を懐かしむ輩だろうか。
 著者は、「キャラ」という言葉をまず定義し、そこから切り込む。そして最後には「リアリティ」という視点からマンガの変化と技法を捉え直す。その評論が成功しているかどうか、私は考える頭を持たない。広く検証され、また議論が深まっていくと面白いだろう。著者も、これが真理だと誇りつつ提示しているのではなくて、議論の叩き台になることをむしろ望んでいるかのように見える。この姿勢が頼もしい。
 それにしても、マンガと一口に言っても、奥が深いことを改めて知る。また、この本では触れられないけれども、今やこの日本のマンガという形式が、海外へ広まっている。海外の風刺漫画やコミックスなどとは違う、ストーリーマンガの形が、かなり広まっており、技術的にも上がってきている。そのとき、日本で生まれたと言ってよいであろうこのマンガというものが、どういうふうに捉えられ、普遍性をもつに至るのか、そしてそもそもその国に漂う思想的風土とどのように調和し、また発展していくのか、そうしたことへも、やがて開かれた議論となっていくことを望みたい。この本が、マンガのこれからについて語るときのひとつの頭石となるとすれば、貴重な出会いになったと言うことができるだろう。




Takapan
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