本

『高橋潔と大阪市立聾唖学校』

ホンとの本

『高橋潔と大阪市立聾唖学校』
川渕依子
サンライズ出版
\2520
2010.3.

 高橋潔先生の娘となって、川渕依子さんの人生は変わったことだろう。これまでにも、『指骨』や『手話讃美』など、父親のしてきたことを幾度か執筆して、証言してきたが、ご高齢であることを思うと、ここに思いを語り尽くしたような形になっているように見える。
 サブタイトルに「手話を守り抜いた教育者たち」とある。生のその現場を目撃した、貴重な証言にもなっている。今日、手話は、いくらか「カッコイイ」と思われている場合すらある。だが、当のろう者が、手話を使うこと、学ぶことを許されなかった歴史が長い間支配していたということ自体、あまり知られていないとも言える。もちろん、当事者にとっては深刻であるのだが、福祉に関心を寄せる若い人々、いやもう私のような世代であっても、こうした歴史を知らない。なにせ、私が生まれたときには、すでに高橋先生は他界していたのである。
 しかし、『わが指のオーケストラ』というマンガの形をとって、その闘いが広く知られるようになった。手話の歴史そのものは、この高橋先生の歩みでもあったのだ。
 校長として勤務した大阪市立聾唖学校であるが、日本の指文字はここで作られた。ヘレン・ケラーとの交流があり、大いに助けを与えられた。しかし、昭和初期の口話教育への傾きに孤立し、大阪城はいつ陥落するかとせせら笑われていた時もあった。口惜しい時期、苦しかったことだろうと思う。口話一辺倒ではろう者のためにならない、口話をする者がいてもよいが、手話もまた必要とする者に禁ずる理由はないという適性教育を主張する大阪市立聾唖学校は、完全に賊軍とされていたのである。
 高橋先生はまた、キリスト者であった。手話そのものが、キリスト教世界から育まれていった歴史もあるというが、高橋先生は、キリスト教に限らず、そのろう者が入りやすければ仏教でもよいから、宗教教育が必要であると主張し、実践している。川渕さんは仏教のほうに動いていったが、心を支える精神的な営みは、ろう者の心を潤し、豊かにしたことだろう。
 元々は音楽家を志し、留学を望んでいたが、それは適わず、この聾唖学校に赴く。そこで彼は人生が定まる。その過程は、むしろかのマンガのほうに詳しいのだが、こちらの本では、これまでの父親のことについての本に洩れていたことや、その後のエピソードが収められている。
 祖父鳩山一郎が、口話教育一辺倒になる原因になったことで、孫の鳩山由紀夫が川渕依子さんに謝罪をしたということは、この本を見るまで私は知らなかった。鳩山のほうでもいろいろ計算があったのかもしれないが、クリスチャンであった一郎よりも、違う由紀夫のほうを川渕さんは好意的に見ているように窺えた。
 言わなければならないことを正直に言う、というのもこの本の一つのあり方なので、叙述は、時折背景が理解しづらく、言葉も端折っているように見えるところが時々ある。また、感情があからさまに出ており、人に対するやや過激な批判も見られる。証言を引用しては嘘つきで人間性が疑われる、というような書きぶりであり、なかなか私たちには許されないことなのだが、かつてはそれと逆の立場で言われ続けてきたという事実があることも忘れてはならないだろう。
 高橋先生自身の生い立ちがここに紹介されているというのではないし、聾唖学校の歴史が漏らさず伝えられているというのでもない。それらは、むしろ他の本に任せられるべきだろう。残念なことに、川渕さんのかつてのそうした本は悉く絶版になっており、手に取れない。その意味で、この本だけで事情を理解しようとするのは難しいことだろう。そうした事件について客観的な註釈があるわけでもないのだ。ひとりの証言者たる女性の目から見たものを、その口から流されていくままに書き留めてあるかのような本である。本の帯に「今日に至るまでの歴史を知ろう」とあるが、なかなかこれだけで歴史を知るわけにはゆかないかもしれないが、しかし貴重な証言であることにはかわりがない。
 この本さえ、紀伊國屋書店のウェブでは残りわずかという表示を見て、私は慌てて購入したほどであるから、もっと広く読まれる価値のある資料ではないだろうかと思い、かつての本の復刊も望むところである。




Takapan
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