本

『プロテスタンティズム』

ホンとの本

『プロテスタンティズム』
深井智朗
中公新書2423
\800+
2017.3.

 宗教改革500年を意識した企画が出版社の一部で多々実現している。本書もおそらくそうだろう。一体、プロテスタンティズムとは何であったのか。何であるのか。何であろうとしているのか。短い新書の中で説き明かすのは難儀であろうが、あまり細かな議論に拘泥せず、観光旅行の案内をされる気持ちで読むならば、恰好の新書が登場した。
 シャープである。実にシャープである。なるほど細かな点を気にすると、大鉈を振るったような決めつけ方は、大胆すぎてデリカシーがないように見えるかもしれない。そんなに断言してよいのか、と。そんなに単純化してよいのか、と。けれども、当初からちまちまと但し書きを連ねられると、読者は戸惑うものだ。それは後でいいから、まずはがっつり分かるように教えてほしいと願うのも尤もだ。また、そういう理解も、さしあたり必要なのだ。
 この本は、ルター以降のいわゆるプロテスタントの歴史について、なんとも明解にぶつけてくれるものだと驚くべきものであった。私も、細かな点はいろいろ聞きかじってはいたが、それらがこの本を読むことによって、全部有機的なつながりを以て初めて感じられたような感銘さえ受けた。これで全部つながって理解できる、と。もちろん、それは著者の見方であるかもしれないことは承知の上である。だが、このガイドにならついて行っても損はないと思えた。
 明解に説明をするというのはどういうことか、学ばされる思いもした。と同時に、自分が属するプロテスタントの考え方や立場についての反省をも強いられることとなった。後半では、ルター派が如何に政治と結びついて、あるいは利用されてきたかについてのつながりが前面に出されている。しかし、ヒトラーが、ルターの讃美歌を使ったのはヒトラーが一方的に利用したというようなことではなく、その背景にはそうなるべき理由があったということが、説得力をもって語られている。事態というのは、突然ある者がもたらすのではなく、時代の空気や背景的な流れがあるという当たり前のことを、まざまざと見せつけてくれる。
 私たちも、時に、歴史の外に立って全世界を傍観しているかのように思いなしてしまうことがある。けれどもそれは錯覚である。私たちもまた、時代の空気の中にいる。あまりに当たり前だと思い、また自分自身がその水の中で育まれてきて揺るぎない真理だとしか思えない、そういうしかし限定条件があるはずだ。自分の狭い了見で知ることこそが真理だと豪語する人間の罪を、私たちは聖書から学ばなければならない。そして、私たち一人ひとりが、この時代の空気をつくっていることに対して、責任を担っているという自覚を改めてするのである。自分でない誰か他人がこの時代を悪くしている、と言い放つことほど、無責任なことはない。「あなたはどこにいるのか」と問われるのが人間であることを、私は片時も忘れるつもりがない。その上で、いつでも、自分の外から(「ユダヤ人から」という語でヨハネ伝が表現するように)真理が来ることを、謙虚に聴いていかなければならないことを痛感するのである。
 そして著者の「こころ」を、私は終わりのほうで感じた。それをここで明らかにしてしまうのは、これから読もうとする読者に対して失礼であろうかと思う。一見ばらばらで、まとまりがつかず争いの絶えないようなプロテスタントの教会やその思想ではあるけれど、むしろそれだからこそ、今の時代とこれからの未来についての、役どころがあろうというものである。責任をもつという思いとともに、希望も与えてくれる。一人ひとりが、神から助けられつつ、神に祈りつつ、前進していくことが許されているのである。その意味でも、私の心に強く残る一冊となったのであった。




Takapan
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