本

『沖縄の70年』

ホンとの本

『沖縄の70年』
石川文洋
岩波新書1543
\1020+
2015.4.

 ちょうど戦後70年沖縄全戦没者追悼式の日に、この本を電車で開いていた。カバーを掛けて読む私にしては珍しく、カバーもなしに表紙が他人に見えるような形であった。しかし、他人は気づいてなどいないことだろう。
 タイトルの前に「フォト・ストーリー」と書かれている。実際の出来事の取材に基づくものだが、たくさんの写真が、カラーのものも交えて掲載されている。時に本文を妨げて並ぶほど、しかし本文に沿った形で、効果的に写真が入れられているが、著者自身、実のところ写真家なのである。その意味で、文筆家としての立場ではないし、文章にテクニックがあるのかどうかは分からない。どちらかというと、朴訥に、思うことをストレートに語っていくタイプであると言える。だが、それでよい。へたにアイロニーや反語などを並べるよりは、心情を真っ直ぐに告げてくれたほうが、この場合には間違いなく伝わるものが強くなる。また、こうしたタイプの書物も幾多出版してきたベテランである。これだけは叫んでおきたい、というような思いが滲み出ているように感じられる。
 沖縄出身ではある。しかし、太平洋戦争が始まって後、幼くして本土に移住した。沖縄の血は流れているが、沖縄に住むことで時代を生きてきた著者ではない。この本は、まずその弁明から入る。確かに、沖縄の苦難を内で舐めてきた人生を送ってはいない。だが、なにかこのようにせざるをえない、自分の内底からわき上がってくるような思いと力が、沖縄で苦しんできた人々に寄り添うようにしながら訴える。まるで、自分自身に叫ぶかのように。
 自分自身のことも交えている点がいい。この歴史に、自分も立ち会っていること、自分の問題でもあること、そうした立場での発言には、力がある。それでいて、政治的状況や背景、そして取材した人々のことをしっかりとカバーし、曖昧なことのないように適切に伝える。そこはジャーナリストだ。
 沖縄戦の描写は、様々に伝えられる。その生々しい体験を告げる人が、世代的に少なくなってきた。しかも、そのことを言いたくはない、触れたくはない、という心理もある。思い出すのも辛い出来事なのだ。思い出すだけで、いたたまれない気持ちになることだろうし、その中で取材に応じてくれた方々への感謝も忘れない。ただ、この沖縄戦そのものについては、近年いくらかでも証言が出てくるようになった。そこへいくと、南洋群島の沖縄人の戦争での経験などは、あまりマスコミに上がってこないと思われる。さらに、ベトナム戦争時に沖縄の人々がどのように感じ、どのような生活を送っていたかという点についても、伝えられていないのではないだろうか。1972年の日本復帰のころの背景と実生活の問題、その後も続く基地についてはようやくこのごろ光が当てられるようになってきたように見えるが、周知のこととはなっていない。
 著者は、写真という説得力のある手段を交えて、これらについて伝えている。しかしまた、これはサブタイトルにあるように、「ストーリー」にもなっている。一人のジャーナリストとしての目から見たストーリーであって、主義主張が強く出ている。というよりは、自分の中の熱意が、すべての写真と文章とを生み出している。社会科の教科書のように、公平な眼差しで、あるいは悪く言えば無味乾燥な記述の本であると期待してはならない。一部の政治的立場の人々から見ると、まことにけしからん書物であるだろう。国賊とまで罵声が飛ぶかもしれない。しかし、それほどに明確に発言しなければならない状況に、沖縄があるという危機感は否定しようがないだろう。恐らくそうしたメディアはこの本を黙殺するだろうが、ならばなおさら、ここに並べられたことについては嘘はない、ということにもなるだろう。本書は、「あとがき」の最後の部分をこの言葉で結んでいる。「安倍首相に心からお願い致します」と。極めて現在的な観点で、2015年3月に書き終えた本である。雑誌並の緊急出版のような印象がある。辺野古新基地の建設問題に対する、今しかぶつられない声である。そのために、沖縄の70年は振り返られたのだということになる。果たして、沖縄の人々はどう受け止めるのだろうか。すでに生活を送っている上で、どうしても反対しづらいという立場もあるわけだ。しかし、本土の者がとやかくそのことを言うことはできない。それを弁えないのが、著者が願い出ている安倍首相であり、それにべったりの報道機関である。
 これはただの本ではない。70年という、人の一生を数える時間を経た記録であり、まさに命なのである。




Takapan
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