本

『新約聖書 歴史・文学・宗教』

ホンとの本

『新約聖書 歴史・文学・宗教』
G.タイセン
大貫隆訳
教文館
\2100
2003.2

 1943年生まれのドイツの神学者。ドイツの新約聖書に関する分野の学問のリーダーの一人であろう。新しい時代には新しい研究結果が入手できる。だがまた、二千年もの間人間たちが人類の宝として保ち続け探り続けた書物が相手である。おいそれと新たな見解が出てくるわけではない、と思われることだろう。しかし、考古学をはじめ新たな発見があり、周辺文化の理解が進む中で聖書の記事の読み方が見出されることも稀ではない。まして、信仰という、生きる核心部分につながる事柄に関するものであるために、人々の関心も強い。語学的なものももちろんだが、どういう読み方をするものか、多くの見方や考え方があるというものだ。それも、学問に基づくものもあれば、感情的なものもある。では感情的なものがすべて虚偽かというと、これが必ずしもそうではないから面白い。
 そういうわけで、新しい読み方を提示してくれるとなると、これはまた実に挑戦的で面白いものとなるはずなのであるが、この新約聖書のいわば概論たる本、なかなかどうして、面白い構成と著述となっている。それは、たんに新約聖書のこれこれはこういう歴史でこのように書かれ……といった説明を仕方なしに施すようなものではないからである。
 ここには、生きた読み方がある。読者が、聖書の中で神と出会うにあたり、どういう出会い方をするのか、どの言葉にどう反応するとどういう世界が見えてくるか、そんなところが描いてあるからである。だからこそ、サブタイトルに「文学」などという言葉が見られるのであろう。
 もちろん、様々な説がある。聖書についてさもこれが真理だというように平然と書いてあるものは、むしろ怪しむべきであろう。著者ももちろんその点は分かっている。しかし、ああでもないこうでもないという書きぶりは、読者をただ混乱させることにもなりかねない。このバランスが難しい。本書は、現代最先端の研究結果を踏まえた形をとっている。もちろんそれが真理だという断定は禁物であるが、それを一つの前提として、読者をぐいぐい引っ張っていく。しかも、それの証明めいたものに囚われることはしない。実に、新書的な書きぶりだと考えて戴ければよいだろうか。
 その上で、たんに内容の羅列ではなく、新約聖書のそれぞれの巻が、どういう観点から書かれたのか、いわば文学的な分析の成果により、どこかストーリー仕立てに、聖書の背景が暴かれていくような書き方をしている。そこには、大胆な仮説はないかもしれない。また、私自身、そうだろうかと訝しく思う記事もないわけではない。だが、およそ現代の研究の成果を垣間見るものとしては、実に読みやすい本だとは言えないだろうか。
 それは、聖書の外の歴史的な史料にも基づいて提示されるからなおさらである。そういう親切で細かな指摘が、この本をぜひ座右に置き、なにかと参照して聖書を読んでいきたいものだという気を起こさせる。少なくとも、ギリシア語で直接聖書を舐めていくことまではできないという人は、ひとつ有力なガイドとして利用するとよいのではないだろうか。単なる語義と常識的コメントや、護教的な信仰の勧めだけからは得られない、生きた聖書理解に近づくことであろう。
 その意味でも、優れた視点により提供されたものであると言うことができる。




Takapan
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