本

『マイケル・サンデル大震災特別講義』

ホンとの本

『マイケル・サンデル大震災特別講義』
マイケル・サンデル
NHK「マイケル・サンデル究極の選択」制作チーム編
NHK出版
\552+
2011.5.

 テレビ番組としてこれを見たが、最近古書店で見つけて改めて本として読んでみた。語調や表情などの情報が得られず、臨場感はないものの、先の発言を見返すことができるなど、書物独特の味わい方ができると思った。
 なにしろ、震災発生から一カ月後である。何年も経ち、その後の対応や事後のことが分かっている現時点から見るのとは違う。当時は、その先は見えていなかった。最初の情報だけで動いており、また判断しているという中での発言ばかりである。これはさすがにサンデル教授も未来予知をしているわけではなく、そのときにおける判断という運命は避けられない。その後のことを知る私たちが、その通りにならなかったな、などと思ったとしても、かつての発言の価値を下げることはあるまい。むしろ、かのときの捉え方は慧眼であったと驚くことのほうが多いだろう。
 サンデル教授は、テレビ番組でよく知られるようになったが、現代アメリカの倫理学、とくに正義論についての第一人者である。ただ、大学生などを相手にして、現場での対話の中で考えを深め、あるいは発展させていくというスタイルが、私たちに、哲学の原点を思い起こさせるところ、とくにやはりその現場での緊張感や面白さといったものが話題に上るのかもしれない。実際、その対話のやりとりは愉快ですらある。
 この対話術は、当然ソクラテスに由来すると言ってよいだろう。だから、いかめしい顔をして自分の言いたい路線だけを構築していく哲学しか認めないという人はともかくとして、思考のあり方としてはひとつの有効な方法だと捉えたい。ただし、ソクラテスの見事な対話篇というものは、基本的にプラトンの著作なのであって、結局プラトンは、当時の劇の台本のような形式に則って、思索を展開することを行ったに過ぎない、という見方もあるだろう。
 ともかく、ここでは日米と中国の学生をネット中継し、意見を出し合ったという様子が記録されている。内容は、まず世界が驚異したという、震災直後から見られた日本人の秩序と礼節への賞讃ならびにそれがどこから出てきたかということ、特にこれが哲学であるためには、それが普遍的なものであるのか、ありうるのか、またそれは何故かという点について、サンデル教授の持ち味で学生の発言をもとに流れていくものがあった。
 次の課題は、原発処理に向かう人が、自主的にか使命的にか、という実際的な倫理状況の中で問われた。言うまでもなく、福島の原発事故で勇敢に立ち向かった技術者に世界中が注目したことに基づいている。これに報酬を与えることが適切かどうかという点について、なるほど素直に考えると、報酬を与えて然るべきだと私たちならば言いそうなところであるが、しかしそうすると、金銭を必要とする貧困層の者が報酬を求めて危険なところに行くだけの結果しか得られず、富裕層はそれほど必要としない程度のものであるから危険にわざわざ身を置かないだろうというような、経済層に基づく差別的提案となりうるのではないか、という懸念が出て来る。ひとつには、アメリカ社会ならではの気づきかもしれないが、日本の中ではこういう視点はどちらかというとピンと来ない可能性がある。こうなると、日本で行われている政治の舵取りの中には、実はこのような構造がある中で、うまく操られているという可能性もあるのだと反省させられる。
 原子力とどう関わるか、がそれに続く。震災一カ月後の議論としては、被災者への視点が薄いような気がするが、遅かれ早かれ考えねばならないテーマである。飛行機事故のリスクと利用といったことと比較するのは奇妙であることは分かってはいるが、そうした観点も意見の中にはやはり出てくる。キーワードの一つは、生活水準というものであったが、この定義や反省はこの場ではなされなかった。そこを問うと、別の課題に移っていくかもしれないので、この場合はやむをえなかっただろう。事は、リスクをどう背負うかというものだったからだ。
 最後に、ルソーなどの言明を契機として、世界への支援の視点は、瞬間的な同情を超えて成立していくものなのかどうか、普遍性はあると言えるのかどうか、捉えようとしていた。世界の情報が瞬時に入る現代ではまた、かつてとは違う考え方や行動が取れるかもしれないため、極端に言えば、ルソーなどがもし今のインターネットや情報社会にいたらどう考えるか、というのは、またかつてのものとは別ものではないかとも思われる。そして、リスボン地震が世界史を変えたように、この震災、また次の災害が、どう影響していくかということについても思いを馳せている。
 本そのものは薄いので、すぐに読める。内容も、深い議論が展開されているとは言えない。だが、掘ろうと思えば掘ることのできる鉱脈はあちこちにある。出来上がった思索というわけでなく、ここから読者が一人一人、深めて考えていくように促されているに違いない。果たして、私たちはその期待に応えようとしているだろうか。




Takapan
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