本

『最後の晩餐の真実』

ホンとの本

『最後の晩餐の真実』
コリン・J・ハンフリーズ
太田出版
\2800+
2013.7

 衝撃的な書である。キリスト教信仰の根幹に関わりかねない内容である。時折世界には、こうしたセンセーショナルな発見が現れるが、しばしばそれは聖書にまつわるものである。人目を惹けば名が売れる場合も多く、なにそれが発見されたとか、イエスが実は……とか、ニュースソースに乗ってくるもののほかにも多々あるのだろうが、内容が衝撃的であると、とにかく目立つ。もちろん、ガセネタが殆どである。とくにネット社会となれば、気軽に発信でき表に出やすいとあって、ますます怪しむ雰囲気ができてくる。それでも、もしや、との思いからメディアに上がってくるという場合が絶えない。
 さて、この本がガセである、と断じているのでは毛頭ない。ここの証明が難しいのだ。分からないのである。
 著者は、聖書にも通じているのはもちろんだが、科学者である。従って、これは科学的方法により求められている営みである。人間の感情や単なる予想で話を進めているわけではない。事実に基づき、また聖書の記述を基にして、その矛盾を解消する方向でひとつの真実を求めていく。まさにタイトルどおりである。ただ、その科学的手法をここで細かく示しているわけではない。論文ではないのだから、計算式を並べるというのは、一般書としては不適であろう。それはそれでよいが、ここまで論を詰めて来られると、その計算の過程というものにも、当然興味が湧いてくるというものだ。
 計算とは何か。簡単に触れよう。それは、「最後の晩餐」の日付のことだ。古来議論になっていることだが、いわゆる共観福音書と言われるマルコ・マタイ・ルカの三つの福音書と、神学的色彩の強いヨハネの福音書との間で、イエスの最後の一週間の記述が異なるのである。とくに、この「最後の晩餐」については、普通に読むとき、どうしてもこれら二つの陣営の間で矛盾が生じる。共観福音書が、磔刑の前夜であるように読めるのに対して、ヨハネはもう一日クッションを置いているように読めるのだ。キリスト教世界では通例、共観福音書のほうを優先してその理解で説明をしている。ヨハネがあまりにもスーパースター的なキリストを描くこともあり、事実を脚色しているのではないかと疑われているのだ。その上ヨハネの福音書は、時期的に明らかに他の三つよりは遅い時期に書かれていると見なされている。つまり、歴史的に事件から遠い記述であるから、誤りの度合いも高いと考えられるのである。
 著者は、この書を一つの探偵小説のように評している。真実が分かるまでは自体は謎めいている。しかし事実が分かれば、すべての謎は氷解する。ひとつの真実の線の中につながり、えてしてそれは単純な一本の糸となるであろう、と。従来のようにヨハネを誤りと決めつけることは、聖書の明白な誤りを認めることになるだろうが、著者は聖書が単純な誤りを、とくにキリストの十字架という、信仰の生命線に関わる出来事についての明らかな矛盾を、初期から許して抱えているはずがない、と考える。当然のことだ。何故誰もその誤りを指摘しなかったのだろう。それは、その当時の人の生活常識から考えて、それは理解できることだったからだ。ちょうど、イエスの譬えの理解のようだ。当時文字も読み書きできず難しい理屈の分からなかった人々に神の教えを伝えるために、イエスは譬えを用いたと本人も言っている。だのに、現代の私たちからすれば、その譬えが難しく、理解しかねる。それは、その譬えていることに馴染みがなく、現代の常識とは違う捉え方を当時の人々がしていたからにほかならない。当時あるいは当地の人々にとり、ブタがどういう動物であったか、家の屋根はどうてあったか、そうしたことを知らずして、まともに聖書の描く風景とその意味が分かるはずがないのである。
 そこで、聖書当時の人々が、「その夜」と言ったとしたとき、それがいつのことを指すのか、「三日目」とはどう数えたのか、そうしたレベルで著者は迫っていく。
 すると、意外と単純な事実に気がつく。そもそも彼らは、「一日」をどのように区切っていたのか。よく言われるのは、ユダヤでは日没とともに一日が始まるというものである。しかし、著者は、必ずしもそうとは限らないことを調べあげる。新約聖書時代の、ローマ統治の中にあって、ユダヤ社会の暦があったわけだが、ユダヤではバビロン捕囚以来続いてきた、バビロンの暦を頼りにしたカレンダーがあった。また、捕囚以前のユダヤの暦もある。それはモーセ五書に由来する。いわゆる律法で定められた祭りなどの規定もあり、背景にエジプトの暦も影響していることが歴史的史料から窺えるのだともいう。
 驚くには当たらない。私たちも、旧暦を意識した生活を営んでいるではないか。実感しないような「暦の上では」などとも言うし、立春を祝いもする。さらには、企業や学校は4月スタートの一年を当然としている。暦の表現や捉え方は、一元的ではないのだ。
 章立てとその議論のまとめ、さらに次のステップへの進行といった形で本書は進んでいき、科学者の記述によるゆえか、実に理路整然としている。その意味で読みやすいこと請け合いである。従って本書全体をまとめることも簡単なわけだが、ここでそのすべてを記す必要はあるまい。ただ、結論の一部として、福音書の間で矛盾は解消されるのだという。それは、ヨハネと他の福音書とは、違った暦の記述方法で言葉を使っており、当時の人はそれで容易に理解していたのだという。私たちも、「二百十日」という日付は、旧暦に基づく数字であることを了解しているが、いちいちそのような説明を施しはしない。盂蘭盆会はさらに月遅れというのを標準としている。考えてみれば実に複雑なルール、否習慣で暦を用いている。福音書を読む人は、基本的に混乱することはなかったというのだ。
 そこで、肝腎の最後の晩餐だが、著者はヨハネから見える捉え方に軍配を上げる。それが今の私たちに理解しやすい筋なのだという。それは、共観福音書が間違っていることを意味するのではない。暦の、そして一日の捉え方が違うのであるという。従って、従来十字架の前の晩、つまり木曜日としていた最後の晩餐は、ヨハネの書き方で私たちに分かりやすいものだが、水曜日であったとする。
 しかも、これは月の運行と当時の天文観測と暦の作成方法などもすべて検討したものである。すなわち、他の聖書学者がなしえないような、天文学的な計算を駆使しての検討なのである。科学的に無知な聖書学者は、過越と月の姿にすら無頓着な記述をしていることが多いことも著者は指摘しつつ、そもそも新月はどういうところから定めるのか、それはその地の地形も考慮に入れながら論述していく細やかさである。反論者がぐうの音も出ないほどの緻密な論である。
 また、示したのは最後の晩餐の日付だけではない。それとともに、前日木曜日だと理解した場合に生じてしまう、イエスの裁判の不自然な進行も、実にスムーズにタイムテーブルに落としていくのである。イエスは、最高法院だのピラトだの大祭司だの、あちこちたらい回しにされる。これで、金曜日の朝九時に死刑判決から十字架へという運びが可能であるはずがないことは、聖書をよく読めばおそらく誰もが感じることであった。
 そういえば中学生が、「走れメロス」について自由研究で調べたことがニュースに挙がっていた。イタリアの地形と、小説にある時刻を示す表現とから、メロスの行程と時間とを仮定して速度を計算してみたところ、平均的な数字ではあるが、前半は時速3kmにも満たず、最後に力を振り絞って走っているシーンでも、早歩き程度と思われることが弾き出されたというのである。まことに目から鱗が落ちるというものだ。文学として私たちは、まあそういうものだと見なして読み飛ばしている情報だが、綿密に計ってみると、なんと遅いものかと明らかになったわけだ。中学生は「走れよメロス」と言いたいと漏らしており、拍手喝采ものなのだが、同じことを聖書に適用すると、今度は笑われるのは私たち信徒である。
 著者は、何も冷徹に計算ずくですべてを結論しているのではない。ヨハネがわざわざ「ユダヤ人の祭り」と記しているのは、ヨハネがユダヤ人から心理的に遠い立場でその書を進めているからであるとしている。ヨハネは別の暦をベースとして進めていたからこそ、その祭りがユダヤ人の暦で行われたのだということを示すために「ユダヤ人の」を挟んだというのだ。この姿勢は、聖書を綿密に、あるいは霊的に読むときの基礎である。何気ない表現のようでも、その言葉をつい使うということには、何か理由や背景というものがあるわけである。
 それから、著者はイエスのメシアとしての自覚についても言及する。いや、ある意味でこの自覚があるからこそ、福音書の多くの記述や描写がひとつの糸でつながるというのだ。それは、キリストはモーセの再来であるのだということだ。新たな律法をもたらすキリストは、かつてのモーセと同じような役割をここで果たすのだという。だから、過越が問題なのであり、出エジプトの出来事と生贄の小羊ということがこのメシアの出来事の中心にくるのである。イエスはまさに、過越の小羊が屠られる時刻に、十字架に架かって息を引き取ったのである。
 黙示録のように、幻想を含むような表現を理解する糸はひとつになることはないだろう。なるとすれば、終末に神の審きがなされたそのときに、「そういうことだったのか」と分かるものであろう。くすんだ鏡のようにおぼろでなく、その時にははっきりと顔と顔とを合わせて見る、とパウロが言うとおりである。だが、受難週の出来事は、歴然とした事実であり、ひとつの出来事なのであるから、真実は一つあるはずである。もちろん、歴史の記述は様々に異なる。が、日付に関しては二種類あるわけではないだろう。生没年が分かっていないという実に不思議なイエスの生涯について、著者は、生年は定められないが、この死については記録がこれだけあるのだから、割り出せると確信し、いくつかの暦を駆使して、ついにはじき出す。それは、西暦33年4月3日である。金曜日という曜日が確定している以上、そしてその金曜日という曜日をユダヤ人は保ってきた以上、また、過越という月の動きから決定される祭りに関わる以上、西暦30年前後十年間ほどの間では、この時しかありえない、とするのだ。
 私は読む前には、聖書の瑣末なところを拾い、都合の悪いところは無視して、自分の思い込みで論を進めているのではないか、などと予断していたのだが、とんでもないことだった。まさに私の目から鱗が落ちたのだ。
 ただ、暦の計算などについて検討できていないが故に、もしかすると計算や記録の中で、どこかに論の破綻があるのかもしれない、という可能性は私は消せない。それで、括弧に入れた上で、受け容れようかと思う。確かに、裁判の成り行きについては、水曜日の晩餐であるほうが、結局聖書の記述を矛盾なく説明するに役立つとも思うのだ。
 それから、発売されて半年以上経った現在、キリスト教世界でこの本の内容について目立ったコメントや検討がないということが気になる。何か違うなら違うで、声を挙げてほしいものだ。ネットで探すと、これはキリスト教を信じていい人々が、非常に面白く読んでおり、的確な批評も呈しているばかりなのであって、牧師や神学者は殆ど何も言おうとしていないのである。本書も、ダ・ヴィンチ・コードを意識している書き方をしているが、本書は創作ミステリーではない。歴とした聖書解釈なのである。改題者の名を見て私は、最初眉唾ものだとしていたのだが、実際読んでみると、これは神学者や教会全体で、何かしらのコメントをするべき内容ではないかと思うようになった。
 今年もイースターを迎えた私たちだが、受難週の黙想について、少し意識が変わりそうな気がする。




Takapan
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