本

『教会と国家2』

ホンとの本

『教会と国家2』
カール・バルト
天野有訳
新教出版社
\1995
2013.3.

 文庫サイズの、バルト・セレクションである。訳者の単独作業なので、一年以上空いてまた次の巻が出版される。また、文庫サイズでこの値段ということは、600頁余りの中に収められているわけで、セレクションとはいえ、惜しい作品を割愛しているともいう。しかし、訳者が考え抜いて選んだものであるから、バルトの専門家であるわけでない読者としては、ありがたくそれらの秀逸の論文や説教などを受け止めるべきだろうと思う。いや、むしろ読むべきものを選んでくれたということで感謝すべきなのだ。
 2011年に『教会と国家1』が出ているから、二年ぶりである。例の如く堅く言い回しの難しいバルトであるから、読むのにも苦労する。カントやヘーゲルの悪文と比べてどうなのか、私は判断する術を知らないが、おそらく同じ路線なのではないかと思う。訳文の労苦も窺えるが、関係代名詞でつなぎ長くする文が、単純に後へ後へと訳しづらい部分もあるようで、日本語と西洋語との構造の違いが恨めしく感じてならない。
 それはそうと、バルトは、ヒトラーならびにナチスとの精神的な闘いに明け暮れたようなところがあるだろうが、教会と国家という問題は、まさにその問題に真正面から立ち向かうテーマである。今の時代から私たちが振り返れば、そういうものかなどとも呑気に思うが、当時は必死である。まさに、命を懸けて発言することになるのであり、明日はどういうことになるのか読めない状況の中で、狂暴な嵐をかわしていかなければならない切実さという刃が顔の横を掠め続ける毎日であったはずなので、もっと私たちも緊迫感を以て味わうべきだろうと思う。
 国家が台頭している。絶大な権力で迫る。国家という「神」が迫り、その中で教会が骨抜きにされている。教会は今神の前で、イエスは主であると告白できるのか。バルトはそこに立ち返るよう呼びかける。しかし、現実の圧力の前で、その呼びかけもどこか空しい。人々は耳を貸さないのではないか。たとえドイツ国内で震えながらこれを書いているのではないにしても、すぐドアの外で暴れている怪物を相手に刺激を与えるようなことをしているわけで、バルトの発言の大胆さと勇気には、敬服せざるをえない。バルト自身の神学がどうであるなどと私たちが落ち着いて分析するのは勝手だが、バルトは神学を安全な場所に構築しようとしたのではない。見に迫る危険と世界滅亡の不安の中で、主に向かう態度を掲げたのだ。呼びかけたのだ。この、生き方そのもの、命をかけた言動というものについて、私たちは安易に神学的内容だけを取り上げて見下すようなことがあってはならないと思う。
 イギリスに、ドイツに、バルトは呼びかける。これはまた危険な試みだ。しかし、黙っているわけにはゆかない。神に従うというのは、バルトにとり、発言を続けることであり、行動に移すことであったに違いない。
 どうしてここを強調するのか。それは、訳者のあとがきにも現れている。今日本は、福島の事故を基に、原子力発電所をどうするか、選択を迫られている。単純な比喩や比較では言えないだろうが、ナチスのようにまだ意志の通じない敵が暴れる中で、私たちがどういう態度をとるのか、行動していくのか、迫られているのが「いま」である。ここで私たちは、神にどう呼びかけられているのか。また、私たちがある種の預言者として、同時代に生きる人々に対してどのように呼びかけていくのか。決して傍観者であってはならないはずなのに、やっていることはただの傍観や様子見に過ぎないのだとすれば、バルトに倣う必要はきっとあるはずだ。半世紀後、あの時代のクリスチャンはちゃんと発言し、行動をしたのだ、と振り返るようなことを私たちがしているのか、それとも、骨抜きになって自己保全にのみ努めた生ぬるい人々であったと評価されるようなことをしているのか、それは今の私たちにとり、自分では分からないことなのである。
 本のはじめのほうをいくらかゆっくり読み進めば、だんだんバルトの言いたいことやそのための書き方に慣れてくる。今回の巻は、比較的言いたいことの方向が見えてくるだけに、比較的読みやすいのではないかと思う。細かな言い回しや詳細な背景に囚われず読み進めば、わりと満足感を以て読み終わることができるだろうと思われる。
 しかも、訳者の註釈が実に詳しい。一般の読者がこれを全部読む必要はないと思うが、これはなんだろう、と思ったときにちょっと開くと、なんだそうなのか、なるほどそれで、と納得のいく答えがきちんと用意されている。実に頼りになる註釈である。本編だけを読みたい人にとっては無駄なようであるかもしれないが、やはりこの註の製作のために一年をかける訳者に敬意を表さなければならない。その苦労たるや、なかなかのものである。また、時間があれば、この註だけを見ていけば、時代の背景や原語のニュアンスなど、本文とは関係ないような部分においても、様々なことを学ぶことができる。
 これだから、私はこのシリーズは全部読もうと計画している。バルト教義学など巨大な構築の城は金銭的にも関心的にも立ち向かえないのだが、このセレクションならば、実に適切にバルトに触れることができる機会である。
 この「教会と国家」には第三巻も予定されている。こちらは戦後の東西冷戦時代である。私たちの時代に直結するのを楽しみにしているが、同時に、現代はまたナチスがいつ吠え猛るかもしれないような時代でもある。かつての時代の経験を、私たちの経験にできるだけするようにして、新たなナチスに対しては発言と行動を起こしていかなければならないだろう。




Takapan
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