本

『韓国とキリスト教』

ホンとの本

『韓国とキリスト教』
浅見雅一・安廷苑
中公新書2173
\819
2012.7.

 韓国はキリスト教国である。いや、そう言っても差し支えないくらいに、布教が進んでいる。たとえば、超巨大な教会が存在する。会員数が何十万などというと、「万」が余計に入っている、と私たち日本人の耳には聞こえてしまいそうであるほどだ。クリスチャン人口の割合も、すでに仏教信仰者を超えた、などとも言われた。果たして現在がどうであるのか、その統計自体知らないのだが、そう言われるほどに信者が多い、というのは間違いがないらしい。
 儒教の地盤があった。そして、韓国にキリスト教が入ってきてからは、日本の近世に入ってきた頃と大差ないと言われており、日本との間に時期的な差はさしてないと考えられている。だのに、この勢いの違いは何であろうか。日本の鎖国時代の禁教ということも、似たようなことが韓国にも起こっているから、決定的な要因とは言えない。
 日本の教会の責任者たちからすると、大韓民国の福音宣教の成功例は、実に羨ましい事実である。どうしたらそんなに、と誰もが思い、また少し考えてみるものの、そのことについてしつこく研究した、という声は実のところあまり聴かない。民族性が違うから、などと言って、日本式にまた戻って日常に浸ってしまうのである。
 何も、韓国の方式に学ぶとか、それをやれとかいうことではない。私たちが、韓国のこの驚異的な事態の実情を、まずは知ることが必要だと思うのである。しかし、それを果たしてくれる研究が、あるいは本が、これまで殆ど見当たらなかったように思われる。極めて個人的な見解や、体験などといったものは多々ある。だが、朝鮮の歴史を克明に捉え、いわば淡々と紹介し、キリスト教がどうやって韓国に入り、どのように展開してきたのか、恰も歴史の教科書のように教えてくれる、比較的読みやすい書物が、見られなかったのである。
 そこで、ここにこの新書が著された。副題は「いかにして"国家的宗教"になりえたか」とあり、その「いかにして」という部分が、かなり客観的な説明として成し遂げられたのである。ほんとうに、多彩な事件を、一筋にすうっと描いてくれているのだ、予備知識があまりない読者であっても、すんなりその枠組みが頭に残るように思うのだ。初めて得る知識であるのにあまり考え込まずに読み進め、しかも頭に残るという本は、そう沢山あるものではない。貴重な役割を果たしてくれた本だと喜んでいる。
 本は、まず現状としてのキリスト教会を紹介する。しかしその教会が社会一般からどのように見られているか、という視点も教えてくれる。少し前ならば、そのクリスチャン人口の増加の勢いが盛んであり、私も凄いなという一言であったのだが、その伸びは鈍っており、カトリックに替わっていく人も多いのだという。つまりは、韓国クリスチャンのよろしくない面についても、この本は容赦なく指摘する。社会運動は教会の第一目的ではないのだが、かといってその国の教会全体が社会運動に無関心とあっては、社会的信頼を勝ち取ることはできないであろう。そうしたことについても触れている。
 キリスト教の伝播については、日本人との関わりが強い面があるそうだが、日本から福音が伝えられたかのように思われるのは御免だとして、学者も躍起になってそのことを否定する言明をなしている。それほど、歴史の中に深く関わり、あるいは韓国人がそれを受け容れるかどうかという問題について、日本との歴史が影響を及ぼしていることがよく分かる。
 しかし韓国の元来の宗教的環境が、比較的日本と似たようなアニミズム的要素があることと、それが今の福音理解にも影響していることなど、興味深い記事が多く、目が離せない。もちろん、私たち日本においても、外から見れば日本独自の風習や宗教観に基づく、当たり前の習慣があることだろう。召天者の記念会などがたとえば、そうである。それでも、韓国は韓国でまた、私たちとは違う側面があり、聖書からして「おや」と思わせるような仕組みがあるのだという。
 最後には、そうした問題点がまとめて挙げられる。北朝鮮との関係も重大である。かつてはキリスト教はむしろ今の北朝鮮の地で盛んであったというが、政治的に宗教が抹殺されてしまった。そこも重要であるのだが、それよりも、大きな教会でよいのかどうか、社会的にどう見なされているのか、こうした問題を含み、今はひとつの岐路に立った状態であるのだという。これから韓国はどこへ行くのか、見つめていたいと思うが、それと共に、読後感としては、民族的な背景や性格をよく取り込んだ形での韓国教会の成長をまざまざと見せつけられたような気がしてならない。
 この本の後、また韓国とキリスト教についての考察が出版されている。そこに何かを学ぶべきものがあるだろう、という前提で、熱い眼差しで見つめられているのかもしれない。しかし、韓国を偶像化するようなことなく、共に歩むパートナーとして手を結び会えたらどんなにいいだろう、と思わざるをえない。しかし政治的にはひじょうに対立している現状がある。
 とにかく、淡々と事実を多く伝えてくれるこうした新書は、私たち日本人が教会について議論するときの、良き前提となりうるものである。多くの情報が、この新書には詰まっている。まず手にするに相応しい、ありがたい資料と言えるのである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system