本

『自由の哲学者カント』

ホンとの本

『自由の哲学者カント』
中山元
光文社
\2000+
2013.12.

 光文社古典新訳文庫というシリーズが比較的最近に始まり、名著の新しい訳で広まっている。感覚的にも、今の人に読みやすいということが心がけられ、工夫がなされており、哲学に限らず、文学古典においても、概ね好評である。
 中山元氏は、必ずしもカントの専門家ではないが、多くの翻訳書に関する仕事をし、現代哲学の視点からも、このカントには重要なものがあることを感じてか、この新訳文庫シリーズでカントの翻訳も務めている。読みやすく、また広い視野を感じさせる。
 本書は、2011年に始められた連続講義を基にして、一冊のまとまった本に仕上がったものだが、内容の量と質の良さに比して、価格はかなり安く感じられてお買い得感がある。語り口調を基本にしているので、敬体で書かれているので、たしかに講演の雰囲気すら感じられるのであるが、内容が手薄であるような印象は全くない。
 カントの著作のうち、科学的な一部のものを除いて、ほぼ全部にわたって触れており、その全著作の中に一筋通ったものとして、タイトルにもある「自由」の概念を置いたという作品である。もちろん、これはカント哲学の全般に通う概念であるし、理論理性の批判にばかり注目しがちな場合もあるカントであるにしても、その本心は自由に基づく道徳法則が哲学大系のベースになっていることは、いわば常識であるともいえる。しかし、こうした連続講義においては、あれもあるしこれもある、とばかり話を聞いたとしても、ばらばらのカタログを見ているだけのようで、つかみ所のないお喋りや、知識の自慢のようにすらなる場合も想定される。あるいは、ただ面白かったとか笑えたとかいうことで、エンタメのように扱われてしまう可能性もある。そこへいくと、この「自由」という基盤からカントの全体を見つめていくという試みは、カントの理解もそうだし、その哲学を次に自分にどう活かしていくかという課題のためにも、たいへん有意義なやり方であったと言えるだろう。
 本書は、まずカントの自由の概念は基本的に3つに分かれることから始まり、カント哲学の中の位置づけから、やがて三批判書を順にたどっていくことになる。また、最後には宗教哲学から政治哲学へと流れて締めくくられるわけで、カントの全体を網羅した、力強い構成であった。
 著者自身が、自由をどう理解し、ここから何を始めるか、というような意味は、基本的にないと見てよいだろう。むしろ、カントという、哲学史上希に見る巨人の思想を知りたいという人、それを人類思想の中でどう用いることができるだろうと思う人のために、カント哲学をどう理解するか、それを「自由」という一つの眼鏡を通して実現した本であったといえるだろう。
 カント哲学は、あまりに多岐に渡る。人間を理解するために、特にその理性という思考する自身そのものを検討し、そこから人類の理想にどう向かうのか、何を勘違いしてはならないか、そして政治的にも何が有効であるのか、そんな壮大な理想と細かな分析と研究がそこにある。そのカント全体を、偏った見方ではなく、カントの時代とカントの立場にできるだけ即した形で理解したいという読者の要請に、適切に答えることのできる一冊ではないかと思われる。
 著者自身は、読者に、ここからどうすべきか、それを強制はしない。ただ、考える材料を投げかけた。18世紀は、人類史上特異な時期であったと私は思うが、そのときに現れ、それ以前のすべての哲学が流れこみ、その後のすべての哲学がそこから流れ出た、とすら称されるカントの哲学を知ることなしに、思想をファッションで語っても、軽い上滑りな思想でしかなくなる可能性が高いのである。そうならないためのチャンスを、著者は読者に投げかけてくれたと思う。
 実は、私もカントの自由論を論文に書いたことがある。もちろんそれは、他愛もない駄作でしかなかったのだが、私なりに、自由の概念と格闘したことは確かにある。その苦労が、いとも簡単にこの本でまとめられているのを見て、当時この本があったら、と羨ましくすら思ったのだが、それほどに的を射て可能なかぎり簡潔で、しかも決して生半可なお茶を濁すような内容ではなかったということが、よく分かる。
 帯には「今を生きるためにカントを読む!」とある。出版社の思惑なのだろうが、結局のところこれは真実である。200年前の歴史的遺産というに留まらない。カントは理性あるいは人間の心を探索した。その「人間」の中に、今を生きる私たちもいる。私の考える頭も、感じる心も、胸を刺す良心も、みなカントは調べ上げていたのだ。カントの道徳論がそのまま今通用するかどうかは分からない。だが、カントのこの立場から貫かれて現れた、宇宙創成の理論は基本的に現代物理学でも有効であるし、人類が向かうべき理想のために掲げられた国際連盟は現代の平和を支える重大な意味をもつ機関として動いている。ケーニヒスベルクの町を出なかったカントが、時と場所を超えて普遍的に及んでくるというのも、なんだか不思議であり、そしてまたわくわくさせる。
 プロテスタントの哲学としての強調点は見られなかったが、ここにあるのは、聖書をバックボーンにした思想でもある。カント自身、教会制度に大して徹底的に抵抗したし、当時の教会と国家には決して素直に頭を垂れていたわけではない。その神観は必ずしも、福音的ではない。しかし、ピエティスムスの家に生まれたカントが、その立場を十二分に活かした、人間理性から人間理性に問いかける精一杯の人類の知恵をもたらしていたことは確かなのではないか。その哲学に対する敬意をこめたこの本は、本当に「今を生きる」ために学ばれるひとつの門であってほしいと感じるのだった。




Takapan
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