本

『賀川豊彦』

ホンとの本

『賀川豊彦』
隅谷三喜男
岩波同時代ライブラリー245
\900
1995.11

 2009年は、賀川豊彦の献身100周年だということで、生まれ故郷で小中学校の時期を過ごした徳島県で、見直しの催しが行われている。
 出生の上で悩みをもつ賀川は、キリストに出会い救われた後、神戸の貧民街に住み込むことになった。やがて貧困からの脱却のために、労働運動を始める。しかしそれが大きくなるにつれ分裂や争議などに陥るようになることから、農民運動に転じる。そこからまた、生協の設立に向かう動きとなっていくが、最終的には神の国運動に邁進することになる。
 多くの著作があり、受け容れられたことからその収入をそうした運動に注ぎ込むという有様であったが、とにかく弱者の側の視点から、日本の歴史上においても大きな仕事をなしたことになると言えるだろう。
 一時、その部落に対する考えが批判を受け、賀川の名前を持ち出すことすらタブーとすらなったような時期があったが、この百年という時期を受けて、見直しが始まったと言えるであろう。折も折、1950年代において、ノーベル文学賞の候補に二度までも挙がっていたという秘話が、関係筋から明らかになったのも、2009年秋であった。
 隅谷三喜男氏は、経済学の専門家としても、またキリスト者としても、賀川に対する一定の視点をもっている。一方では、賀川の弟子たちによる著作や研究がたくさんあり、他方では賀川を批判する勢力もある。そうした立場から一歩引いて、可能な限り第三者という視点から、賀川を取り扱った意義は大きい。
 だから、この本は伝記でも評伝でもない。著者自身触れているように、戦後の賀川については殆ど述べることがなかったし、いくつかの点を取り上げただけで、果たして線となっているかどうかは分からない。だが、私は賀川という人の姿が確かに浮かび上がってきたと言えると思う。人情味を交えて語ってはいない。彼の行動を追い、その背景にある彼の精神を明らかにし、またどのような信仰を有していたかの推測がなされているばかりであるが、そういう一定の光の当て方が固定しているだけに、ぶれることなく、またフィルターをかけることなく、ありのままの賀川豊彦の姿が見えてくるように思われてならない。
 今日のキリスト者に対して訴えるものがあるだろう、と著者はいう。キリスト教界がただ批判するだけでは済まないものがあるのではないか、と訴える。それでいいと思う。今日もまた、賀川の時代のような不況あるいは労働者にとって苦しいものがある時代である。その中で、キリスト教の世界が、イエスが味方したような貧しい人々の側に立つことができるのかどうか、その意味は大きなものがあるのではないかと思う。
 出会えてよかった本の一冊であると言える。




Takapan
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