本

『ユダヤ教の福音書』

ホンとの本

『ユダヤ教の福音書』
ダニエル・ボヤーリン
土岐健治訳
教文館
\2000+
2013.25.

 ユダヤ教内のキリストの物語。サブタイトルが、より分かりやすく内容を伝えている。だが、まだその画期的なスタンスは読み取れまい。
 ユダヤ教とキリスト教との接点を、ユダヤ教サイドからぶつける意欲作である。たとえばイエスもユダヤ教の中で行動した、という程度はよく言われる。あたかもイエスはユダヤ教を否定したのだ、としすぎることについての反動であるかのように。だが、著者はもっと前進する。イエスはもっと完全に、ユダヤ教徒であったのだ、と。
 原理的には、よく考えてみれば、それはある意味で当然である。ユダヤ教の中で待たれたメシアが、イエスという形で登場した、とするのがキリスト教だからである。だが、歴史はその点を忘れるかのように、ユダヤ教と決別し、キリスト教は独自の道をたどった。否むしろユダヤ教を迫害する側にすらまわっていったのだ。
 そもそも考えてみれば、「ユダヤ教」というものが成立した時代は、イエスの時代ではない。その後のことである。ならば、成立していないものが分かれて成立していた、とする論理は成り立つまい。著者は、「第二の神」という考え方を表に出して、イエスがそれてあるという受け容れ方は、現代人が想像する以上に、当時はありえたのだ、という見方を提示する。さらに言えば、イエスがメシアであると信じていた人も、要するに私たちが捉える限りの「ユダヤ人」なのだった、というテーゼをもたらす。そこには、奇抜な響きがあるのは確かだが、ある見方からすれば、否定することのできない事実であるのかもしれない。
 神の子という言い方のほうが実は人間に寄り、人の子という言い方のほうが神を表すという最初の件も傾聴に値するし、聖書そのものに現在含まれない「エチオピア語エノク書」と「第四エズラ書」を深く読み取ることで、一世紀当時のユダヤ人に広く存在していたメシア観が教えられる。さらにイエス自身が律法(この訳し方を著者は好まないだろうが)に従順に生活していたはずだという検証を経て、ダニエル書から、メシアが受難の死を遂げるということは、ユダヤ教の中で常識的な見解であったことを指摘する。こうして、福音書は、当時の本来的なユダヤ教が有していた考えを、たんにイエスという存在を通して明らかにしたものに過ぎず、ユダヤ教の描くメシアがそこに表されているのだ、と主張する。
 本文の四分の一にも及ぶ注釈があることにも驚くが、その後、訳者のあとがきが尋常ではない。この注釈をさらに上回る量が、訳者の意見として追加されるのである。それは、まるで訳者がこの本の著書により自分の意見を代弁されているというかのようてあり、この画期的な見解は、訳者自身がアウトローとして日本の神学界で叫んでいたことを検証しているのだ、という勢いである。また、如何に自分のこの考え方が蔑ろにされ、無視されてきたかを訴えるかのような口調で、一世紀のユダヤ教に関心を向けずヨーロッパ神学を無条件に肯定してきた日本のかつての神学者たちをこき下ろし始める。かなりアクの強い訳者の主張である。しかもこうなると、果たしてこれはボヤーリンの訳書として出版されたのか、それとも訳者が吠えるためにこの訳を利用したのか、分からなくなってくるかのようである。
 批判の羅列について、ひとつひとつ肯定したり反論したりするような力量は、私を含めて通常の読者にはないであろう。しかし、やはりユダヤ教において一世紀当時このイエスの出現をどのような環境や背景の中で見たのだろうか、という点は、私を含め、多くの読者が必要と認めるところであろう。まして、ギリシア哲学の理論で聖書を鮮やかに切り出すなどということが、いかにイエス自身の考え方と異なっているかということには、やはり気づいていたほうがよい。気づかずして暴走することは懸命でない。
 他の学者への攻撃は、読んでいてあまり好ましく思えなかったが、このくらい毒々しい言い方をしてくれたほうが、問題点ははっきりする。つい、書いていくとそのくらいの力が出てくるのだろう。直接話しながら攻撃を仕掛けるよりも、言論という場でこのように戦うためには、やはりある程度はっきりしたほうがよいかもしれない。
 訳者が続いて出版する、自著の内容もこの「あとがき」で幾度か触れられている。これを楽しみに思うか、不愉快に思うか、は読者の思想的立場にも拠るかもしれないが、新約聖書の中で「聖書」と呼ばれているのはもちろん旧約聖書であり、その旧約聖書が紛れもなくユダヤ教のものであることを改めて思うとき、自分の思い込みや都合のよさだけで聖書を飛ばし読みするようなことをせず、考えられ得る大きな枠の中で、神の偉大さを感じつつ、聖書から、できれば無心で、神の声をまた聴き続けていきたいと感じるのであった。
 こうした本から、良い刺激を受けることは、楽しいものである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system