本

『イエス研究史料集成』

ホンとの本

『イエス研究史料集成』
A.J.レヴァイン・D.C.アリソンJr.+J.D.クロッサン編
土岐健治・木村和良訳
教文館
\6800+
2009.11.

 これは分厚い史料集である。タイトルに偽りはない。
 だが、聖書の解釈だとか、神学的な話題に沿っての説明だとかいう意味で史料を求めた場合、失望するかもしれない。
 プリンストン宗教学論集シリーズの一つであるという。プリンストン大学は歴史ある大学であり、長老派の牧師養成機関をも担っている。様々なアメリカの大学ランキングでトップないしトップクラスであり、内外的に評価が高い。そこでの宗教学の論集であるから、内容も有意義であることが期待できるであろう。
 となると、まるで護教的というふうに思われるかもしれないが、仮にそうだとしても、幅広く世界の宗教について論及し調査しようという研究姿勢は、狭い視野に基づいているとは思えない。
 この本では、ヨセフスをはじめ、当時のローマ帝国の文化におけるキリスト教や聖書の内容について、多角的な視点を紹介しているように全体的に見える。とにかくいろいろな刺激に満ちていた。多くの神学者がその得意な分野で果たした研究成果が、計28も並んでいる。中にはユダヤ教文献の新たな視点の開拓もあるだろうし、ローマの神観や、ギリシア哲学の文献の中に現れている聖書の中の言葉の背景など、興味深いものが多い。ミトラ典礼文など、キリスト教がもしやそこから取り入れた知恵もあるのではないかと思わせるほど、関連した事項が散らばっていた。ミトラ(ミスラ)についてはここで詳述する暇がないが、少し調べてみると、実に驚くべき影響を、世界の諸宗教に与えているのではないかということが分かってくる。
 研究範囲は制限をもたない。イソップから、ローマの離婚法律から、食べ物規定はどうか、ローマ人の書簡に触れるキリスト教関連の噂や話題、ギリシア叙事詩や、そもそも高貴な死について人がどうイメージしていたかなど、話題は尽きない。小さな観点かもしれないが、当時の世界がどのようにそのことを見ていたかという常識的な視線は、今の私たちには分からない点の一つである。私たちの印象でその言葉を受け止め眺めても、当時の聖書を記した人の感覚と同じとは限らない。当時は、ローマやギリシアの文化の背景の中で、また当時の社会や文明の理解の中で、その言葉を選んだのだ。どういう意味で、どういうイメージでその言葉を使ったのかという点については、その場に暮らしてみないと分からない面がある。当時の文化の常識に基づかなければ正しく認識できないことがある。私たちの現代世界から見た研究が正しいとは限らないし、むしろそれは正しい理解を阻害するものであるとさえ言える。
 学者たちは、この大学の内部の人物であるというわけではない。アメリカ(またはカナダ)中の様々な大学の第一線の学者たちがこの企画に研究成果を寄せている。瑣末な話題のようでありながら、ひとつひとつに苦労がこめられている。また、形式としては、ただ意見を述べるというばかりでなく、その典拠となる史料を集めて掲載しており、読者としての私たちも、自ら検証することが可能である。なるほど、エノク書にはこう書いてあるが、面白いじゃないか、と驚くような発見がある。また、個人的には、教育的配慮におけるクレイアーが心に残った。言葉や行為により人に理解させる構造を分析し、たとえば共感福音書においても、それぞれの微妙な描き方の相違が、伝えようとしていることがかなり違うという場面が起こるのである。
 概して、これは学術的な論文であるために、基本的な事柄について読者に説明をし、理解させようという意図はない。そのため、たとえばインターネット環境を用意して、そもそもこれは何だと思ったら、さしあたりWikipediaでも何でもよいので、基本的な理解を図りつつ論文から聞いていくのがよいと思われる。従って、完全な理解をしようと頑張る必要もない。その概念のおよその枠組みを把握して後、筆者の観点や主張を味わえばよいのであり、また、出された史料が聖書と関連があることを見守っていけばよいと思う。聖書の中で思わせぶりにさえ見えた、私たちにとり不自然にしか見えない表現が、実は当時の社会におけるある習慣に基づいて、あるいは当時知られていた他国の文化や社会的な法の中で、意味づけられることがあるというのを発見する楽しみをもてばよいのであろう。
 読者にはそれだけの忍耐が要求されるが、これはたとえば説教者にとってはなかなかの魅力ある史料である。カニは自分の甲羅に似せて穴を掘るというが、メッセージも、学ぶことがなければ、いつしか自分の大きさや思惑の範囲内でしか、福音を語れなくなってしまう。自分の知らなかったこと、気づいていない聖書の広さや深さ、外の風に当たるようにして得る刺激を知り、神の無限の恵みのほんのひとつ新しい面を、変わらない救いの核心とともに絡み合わせることによって、いのちある説教が築かれていくのではないかと思うからである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system