本

『福岡 アジアに開かれた交易のまちガイド』

ホンとの本

『福岡 アジアに開かれた交易のまちガイド』
武野要子編
岩波ジュニア新書552
\980+
2007.1.

 カラー版と記され、多くのカラー写真がふんだんにある。福岡のよい案内となっている。例によってジュニア新書ということで、中高生対象でありながら、そのレベルは一般向けと言ってなんの問題もない。すばらしい内容である。
 たいへん失礼なことを言わせてもらうが、福岡に住む者として、この本は出版されたとき気になっていたにも拘わらず、買うのはどうかしらね、と構えていた。そのうち買う機会を失っていたが、古書店で見つけて、価格が元の数分の一になっているのを見て、これは「買い」だと動いた次第である。失礼極まりない。
 それが、面白かった。発行からこの時点で8年を数えていたわけだが、内容はそれほど古びていない。博多の街が新しくなっていったその後の取材であるので、その後のいくらかの変化を踏まえても、そう違和感のない記述となっている。
 古代の説明から入る。古代において福岡が日本のおそらく最先端の地であったことは疑いがない。最先端というのは、外来文化が入ってくる場所であったという意味である。中国や朝鮮との交易は福岡の地でなされた。遣唐使や空海などの僧もここから旅立った。
 それ以前においても、福岡で見出される遺跡の数は半端ない。ただ、都が畿内となり日本史が政治的に動き始めてからは、福岡でかつての歴史が引き継がれにくくなった経緯がある。豪族の遺跡ではないかと言われつつも、由来が定かでないままに遺されているというようなものもある。中央政府というものは、やはり歴史編纂においては、自身の正当化のためでもあるのだろうが、実に綿密で手間を掛けていくものである。
 本書の冒頭の紹介で、お茶やうどん、饅頭やそうめんの発祥地としての福岡が紹介される。地元の者でこそ常識ではあるが、他地域の方々には新鮮な事実ではないだろうか。博多と言えばラーメンと思いきや、うどんとラーメンはどちらが多いと言えないのが実情なのである。そしてもちろん、大陸との交易を考えると、輸入文化の発祥地としてはごく当たり前のことになるとご理解戴けるだろう。
 古代遺跡の数々については、もちろん著名なところは知っていたが、私も初耳のものがあった。それほど、奥深い古代史が潜んでいるのだろう。
 なんとか時代にどうなって、という区切り方による記述がこの本にはない。時に時代を行きつ戻りつ、文化の紹介のために筆が進む。何々時代という呼称は、あくまでも京都あるいは幕府政権による呼び名なのである。そういうこととは別に、博多は常時動いていた。中央政権のごたごたに関わらず、対外貿易や交流に賑わっていたのである。もちろん元寇という国家的危機のあったときの現場となった。元寇防塁跡は海岸線近くに今も佇む、身近な存在である。
 そういう中で、商人文化が栄えていた博多であったが、秀吉の時代に、また変化が起こる。戦国時代の争乱に巻き込まれた街が新たに整理されたのである。秀吉にとり、朝鮮出兵という野望のため、博多は貴重な基地となった。そこで、黒田官兵衛を通じて、博多の町割がなされたのである。これが今の博多の街の基調を呈している。官兵衛については、NHKが2014年に大河ドラマで描いたため、私もよりいろいろと知るところとなったが、福岡藩の治世についても、政治的なあれこれをこの本は描かず、ただ明治になっての不祥事は明らかにする。いろいろあったものだ。
 忘れてはならないのは炭鉱である。これでまた、福岡は息を吹き返した。さらに、欧米一辺倒だった日本がアジアとの関係を重視するにあたり、福岡の地位は格段に上がっていくことになる。そういった現代へつながる歩みが、あくまでも福岡中心のストーリーとして展開していく。
 こうした描き方に密かな感動を覚えていたのだが、それもそのはず、編者は博多を愛し、それをおもに経済的な視点から多々紹介し、福岡地元における賞を幾たびか受賞しているのだという。実にうまい進め方だと驚いた。
 なお、これだけ歴史の中で博多で通していたこの地が、福岡となった経緯については、黒田官兵衛(如水)のその黒田家の地元の地名を継いでいることは有名であるが、そうしたことさえ、やはり地元の方でなければ驚かれることかと思うし、まして、博多駅と福岡市という呼称の違いとその決定の経緯については、不思議なことしきりであろう。もちろんこうしたことも、この本には、必要以上に詳細になりすぎず、必要十分な要点が分かりやすく示してある。ほんとうによいガイドである。




Takapan
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