本

『福岡とキリスト教』

ホンとの本

『福岡とキリスト教』
坂井信生
海鳥社
\1680
2012.4.

 福岡地元の出版社としていくつかの会社があり、なかなか元気なのであるが、そのうちの一つから、このたびキリスト教の歴史を福岡におけるという限定の中でまとめたものが著された。案外こうした企画はほかに見られない。飛びついて買い求めた。
 副題は「ザビエルから現代までの変遷を追って」とある。キリスト教がどこからスタートできるかということについては、たとえばもっと古代から、景教絡みで問いかけることも可能なのであるが、ここはもっと現実に史料として明らかで、あるいは一定の影響をはっきりと与えていることで、ザビエルに起点を置くということを明らかにしているものである。
 しかし、あまり福岡とキリスト教ないしキリシタンというつながりは、取り上げられない。黒田如水がキリシタン大名になったのは1586年。後に家康に認められ福岡藩52万石を与えられる。このとき宣教師が入り、三日間で150人に洗礼が施されたという記録があるそうだ。しかし家康との関係で、博多には教会が認められる状態ではなかったが、そこは博多、商人の町であり、豪商もいる。見事な聖堂が建てられたという。このときいわばミッションスクールもつくられていたことが記されている。しかし1604年に如水が亡くなると、博多におけるのみならず、日本のキリシタンにとって厳しい時代が訪れることになる。博多近辺に数千を数えたというキリシタンたちも、1612年に伴天連禁制を明らかにすると、教会堂も消え、今はその場所すら分からないのだという。やがて2名ではあるが、博多において殉教者も現れている。
 こうした、なかなか表に現れない部分を、この本は伝えてくれる。この後、禁教時代を超えて開国から明治、そして大正・昭和と福岡におけるキリスト教の状況が紹介される。そうして戦争をはさみ、今日の状況へ、いわば淡々と述べられていく。
 著者が、やたら張り切っていないのがいい。感情を交えること少なく、事実を事実として伝えてくれる。これがありがたい。歴史の叙述はひとまずこうでありたい。そこから後は、読者がこの史料を基にして、さらに展開していけばよいのだ。
 最後には、キリスト教主義教育機関と団体が紹介される。それぞれの学校の歴史と今日までの経緯が、簡潔に示される。さすが近年のことはともかく、古い時代の歴史については、よほど興味をもって調べないと知らないことが多いので、そうだったのか、と驚くことが多かった。創立の背景や、場所を転々としたことなど、教えられることが多かった。また、ごく最近こうなった、というのも知らないことがあったりして、興味深く読ませていただいた。
 それからYMCAとYWCAも紹介され、ギデオン協会でこの本が終わる。
 福岡に住む人にとっては関心の深い内容が多いはず。特にクリスチャンだと、これを知っておくことには大いに意味があるだろう。
 それにしても、福岡あるいは博多というこの地は、やはり商人の町という印象を強くもつ。政治的にはあまりうまい土地だとは言い難い。隣の山口が長州藩の歴史もあって非常に政治的に長けた人物を輩出しているのに対し、博多においてはそれがあまり見られない。かつては熊本こそ九州の中心として認められていた時期もあったほどである。今の福岡もそうなのか、と決めつけるのもどうかとは思うが、こうした背景は、キリスト教を伝える場合においても、伝わりやすいことや受け容れやすいことというのが違ってくるのではないかとも思われる。東京で成功した方法を真似すればよい、などと安易に考えてそれでよしとするのとはまた違う考え方が求められて然るべきなのである。
 教会も、従来都市部に集中していた歴史があることも分かる。当然かもしれないが、さて、今ではどうだろうか。地域に出て行く傾向はあるものの、福岡に神学部をもつ南部バプテスト系統のバプテスト連盟ばかりが分かれて進み出ているようにも見える。このバプテストの背景についても当然この本で触れられているが、改めてそのことの特異性に注目してみる必要も覚えるものである。
 自分の、また自分の住む地域の歴史と背景を知ることは、小さなことではない。この小さな本は、福岡に生きるクリスチャンにとり、決して小さな存在ではないように感じた。




Takapan
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