本

『古代エジプト文明 世界史の源流』

ホンとの本

『古代エジプト文明 世界史の源流』
大城道則
講談社選書メチエ527
\1785
2012.4.

 古代オリエント文明についての通史はよくある。だが、エジプトに焦点を当てたこの営みはなかなかユニークであると思った。世界史におけるエジプトの役割というか、エジプトの果たした仕事を、古代からローマ帝国までたどる営みである。そこには、たんに時間軸に沿った説明ではなし得ないような視点と探究の意味とが隠れている、そう思った。
 エジプトは大国であった。ひとつには、バビロニア帝国やアッシリア、ペルシアといった大国が確かに聳える。ヒッタイトの文明も世界を大きく変えた。しかし、その王朝の変遷や南北の栄えの動きはあるものの、エジプトとしての王国の継続は、紀元の頃まで続いており、中東の大国の勢力のためにも大きく影響を与えていたことは間違いない。なんだ、二千年前に途絶えてしまったではないか、などと言うべきではない。そこまでの長い歴史は、その後現代までの歴史よりも長いのである。
 このエジプトにどっかと腰を下ろして、世界史を見つめる。この視点は、そうそう得られるものではない。恰も、自分がエジプト人になり、祖国を愛するあまりその祖国の歴史から世界を捉えようとするかのようである。
 地中海文明との関係が明かされる。先に挙げた中東の諸国との歴史が見直される。ギリシアとローマとの関係はどうだっただろうか。アレクサンドロス大王の遠征が東へ向いたことで世界史は全く変わったものになったなど、歴史のロマンへの興味は尽きない。もちろん、王朝最後のクレオパトラは誰もが知る名前であるけれども、その生涯については実のところ殆ど何も知られていないに等しく、そのクレオパトラが母親として子どもを愛した様を推理するところなど、人間として感動を覚えるものである。
 また、古き時代ではあるが、聖書世界からしても、エジプトは旧約聖書にさかんに登場する。もちろんモーセはエジプトからカナンを目指した。出エジプトと言い、エジプトは世俗で快楽の世界に喩えられるわけで、少し気の毒に思えるのだが、しかしその後、幾度となくイスラエルを悩ませるのも確かだ。エジプトの侵略を受けることもある。エジプトがたんに北に出て行くための通り道であるがゆえに侵されるということもある。イスラエルは実に、大国のぶつかる地域に置かれていたせいもあり、アッシリアかエジプトか、どちらにつくか選択を迫られる。その選択が、預言者により、間違っていると指摘されることも度々ある。エレミヤは、捕囚に従うつもりでいたのが、反勢力のためにエジプトに向かうことにもなる。聖書との関係は深い。
 その聖書の信仰に、エジプトが何かしら影響を与えているのではないか、という話も興味深い。エジプトは多神教と言われているが、その時々により、中心的な神は変遷し、例外的扱いを受けるとはいえ、一神教に徹した時期もあった。そことの関係を探る眼差しも面白いし、後のローマ帝国がエジプトへかなりの憧れをもっていたであろうことなどの紹介も、わくわくさせるものがある。たとえエジプト自身が何かをしなくても、文明諸国が、エジプトを見、エジプトから学ぼうとしたり、無意識のうちに学んだりしていたのである。だからまた、サブタイトルにあるように、この国が「世界史の源流」をなしている、とも目されるのである。
 ひとつの実験であるかもしれないが、こうした歴史へのアプローチに、私は応援の心をもちたい。私たちは、自分が聞きかじった思いこみにより、ずいぶんと視野が狭くされているであろうからだ。もちろん、奇を衒う真似に躍らされてはならないが、何かしら別の視点というものは、新たな世界を切り拓くきっかけとなりうるものである。エジプトもまた、そのようにして、長らく力を保ち、影響を与えてきたのではないだろうか。




Takapan
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