本

『C.K.ドージャー夫妻の生涯』

ホンとの本

『C.K.ドージャー夫妻の生涯』
西南学院百年史編纂委員会
花乱社
\1400+
2016.5.

 福岡の西南学院は、2016年、創立百年を迎えた。以前記念出版されていたものを含むのであるが、ここにまた、創立者のドージャー氏について語る本をまとめあげた。タイトルも、夫妻を共に取り上げ、長生きした奥さんのことにもたっぷりと触れた、厚みのある記念誌となった。
 バプテスト連盟の中核となった西南学院は、大学を初めとして高校、中学と建設して、幼稚園もあった中で、近年ようやく小学校設立を実現し、ほんとうに総合的な学園を形成することとなった。福岡でも知名度はもちろんのこと、教育面でも高い評価を得ている。その創立者は、明治38年に日本に宣教するよう招かれた。時に26歳。翌年決意し、神学校を卒業すると、結婚をした後、間もなく日本に向け出帆する。福岡バプテスト神学校の教師となった後、やがて大名町に居住して、西南学院を創立した。これが1916年のことである。二年後にいまの西南の拠点である西新に移転し、次第に学校として成長していくが、やがて昭和に入ったころに、有名な事件が起こる。
 いわゆる「日曜日事件」である。安息日に試合を行うことを禁じたドージャ院長に反してそれを行い、学生との間で大問題に発展するのである。そして学生たちの間から、院長を排斥する運動が起こる。ドージャー氏は北九州に移り、西南女学院関係の役職に就き、伝道活動をする。直後、54才の若さで召天となる。
 この後、夫人は39年にわたりこの世での務めをなし、テキサスにて召天する。二人は小倉の西南女学院に埋葬されているという。
 こうした資料を提供するものとしても本書は役立つと共に、その生涯の解説やエピソードがふんだんに含まれ、モード夫人の貴重な手記が英日対訳で紹介されており、美しい装丁と充実した内容と量を保ちつつ、価格がひじょうに抑えられている点が目立つ。これは西南学院関係者は皆手元に置きたいと思わせるものとなっていると思う。
 学院の創始者について、学生は必ず聞かされるものであるが、深くそれを学ぶ者は決して多くはない。しかし、学院の精神や方針は、創始者の遺志の中にきっと含まれている。そこから歪んでいくようなことがあったら、誰かが気づかなければならない。これはもちろん、教育機関のみならず、多くの組織にいついても言えることである。私は、キリスト教会というところにも、ぜひ取り入れたい習慣であり学びであると考える。いま自分が置かれているところで、自分の目に適うことを良しとして判断していくのは、ひじょうに危ないことである。伝統だから正しい、というふうには思わないがね伝統を知らないがために、その配慮や重み、大切に育んできたことを蔑ろにして、流行に流されていっただけ、ということにならないようにしたいものである。士師記の中に、人々は自分の目に良いと思うことをやっていたというフレーズが多々あるが、それは聖書記者にとり、良い意味で書かれているのではない。神に従うのでなく、各自が自分本位で判断していた、という意味である。こうした点からも、西南学院という巨大なこの組織が、そもそもどこから始まったのか、それを少なくとも知るところから始めなければ、何か危機が訪れたときに判断を誤るのではないかと危惧するのである。
 ともあれ、福岡の伝統あるキリスト教教育機関であり、また付随する教会などの伝統がここにある。関係する信徒はもちろんのこと、福岡で宣教に携わる多くの方々に目を通して戴きたいと思う。福岡とキリスト教はどういう関係にあるのか、これを抜きにしては考えられないと思われるからである。




Takapan
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