本

『キリストの生まれるところ』

ホンとの本

『キリストの生まれるところ』
越川弘英
キリスト新聞社
\1600+
2007.10.

 これは若干の説教を加えた増補版であり、その前は2004年に発行されている。「アドヴェントとクリスマスのメッセージ」というサブタイトルが付いており、この後著者は、イースターやペンテコステなどのための同様の本を出している。
 今回は、クリスマスに絞った内容であり、教会での説教や、勤める同志社大学での学生向けの話を集めている。えてしてこのように、随所で語ったものを集めたものは、たしかに同一の人物の話としてのつながりはあるが、統一感に欠けるものである。だが今回、それを感じさせない、見事な流れを感じた。それは、メッセージ内容にぶれがないというためであったし、妙に衒学的な試みがないという姿勢によるものなのかもしれない。
 結論から言うと、すばらしいメッセージの連続であった。
 聖書そのものを探究するとか、原典批判を繰り返すとか、そうしたアプローチもある。社会の諷刺や批評をするというメッセージも、中にはある。だが本書は、聖書の「こころ」を明らかにし、神が、読者――つまり、私――に、直接迫るという場面を作り出すことに成功している。その言葉を聞く者が、神と出会う、そういう場を提供しているということである。
 実のところ、説教というものの最大の目的は、そこにあるのではないか。説教者が知識を配布するようなものではない。聖書の真実をミステリーながらに暴くというものでもない。その言葉が神からの言葉として聞こえること、まさに神の言葉が語られているという事実を作ること、従って、聴者が神とそれにより出会うこと、神の声を聴くこと、そうでなければ、説教には「いのち」がない。
 その良さを、ここで簡潔に伝えるというほどの力量は、私にはない。直にこれらの説教に触れてみることが一番だ。聖書の解釈をすることもあるし、社会情勢を反映されることもある。その意味でも聞きやすい説教である。だがいつの間にか、自分がその現場に引きずり出されるのを覚える。あなたはどうか。あなただったらどうするのか。この問いかけの前に、私はなんとか応えることなしには、もうこの本を続けて読んでいくことはできない。
 キリスト誕生前の備えについての言及から、もう私は涙に包まれる。
 誕生そのものについては、あっさりと進んでいくが、心に突き刺さる者を感じざるをえない。
 誕生後のありさまについて、さあどう立ち上がり、歩き始めるのか、迫られる。
 しかし最後に、サンタクロースについてのメッセージがある。教会向けではないだろうと思ったら、学生向けのものであるという。が、最後の最後の、小塩節先生の逸話には、もう号泣めいてくる。
 そう、逸話が多い。それが、実に適切である。エピソードばかり説教に入れる人の中には、自分自身の体験が乏しく、そのため他人の体験話で、いいなと思われるものを取り入れて、いい説教のように仕立て上げるタイプの人が、いないわけではない。だが、同じエピソードを選び採用するにしても、説教者自身の経験と共鳴するものとして選ばれ、語られるエピソードというものは、やはりそれとは違うものである。もちろん本書は、後者である。語る者が貫かれたからこそ、その逸話が語られる。自分自身の痛みとして、告げられる。だからこそ、聴く者の心にも響くようになる。
 その意味でも、安心して、この多角的な説教を味わうことができるだろう。歴史的な話、現代の話、誰かの体験、それも交えつつ、それでいて、キリストと神の愛や懐の深さのようなもの、それらが全部ひとつにつながってくるのだから、説教者のテクニックというより、その信仰の糸が、確かに真っ直ぐにつながっていることを強く覚える。
 説教や礼拝についての研究で有名であり、とくにその礼拝論は、多数の翻訳を含め、現代の礼拝への提言が多々あり、雑誌の上でも活躍している著者である。まだこれからも多くの提言をしてくださるだろうと思う。この説教そのものは今の時点で少し前のものであるが、その後の深みもまた増し加わっているのだろうか。いやあ、心動かされる説教というものは、実にうれしいものだ。そしてまだ問われている。おまえはどうするのか、と。




Takapan
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