本

『聖書を読んだサムライたち』

ホンとの本

『聖書を読んだサムライたち』
守部喜雅
いのちのことば社フォレストブックス
\1260
2010.1.

 いわゆる信仰書の部類の本は、クリスチャンのほかの人がどれほど手に取るか分からないものだが、この本は、どなたにでも手にとって面白みがあるのではないかと思う。
 クリスチャン新聞の編集を務めた方が、その立場から様々に集めた資料を基に、ここ明治初期の人物に絞ったレポートをしてくれた。元来中国伝道への調査に詳しい方なのだそうだが、この本ではその点殆どにおわせず、ひたすらサムライ世代にこだわり伝えてくれた。
 一人一人の叙述は長くないが、これだけのことを、そしてまたこれだけにまとめるのには、ずいぶんと調べられたことなのだろうと思う。思いつきでできるものではない。取り上げられた人物を列挙すると、フルベッキ、今井信郎、坂本直寛、津田梅子、新島襄、山本八重、原胤昭、クラーク、内村鑑三、新渡戸稲造、福沢諭吉である。宣教師の名があるのは、それが別の日本人に影響を与えている背景の理解のためにも必要であると考えられたためであろう。適切な取り上げ方ではないかと思う。
 こうした人々は、クリスチャンであるか、殆どクリスチャンであるかのような歩みをした関係者だと言える。福沢諭吉ですら、当初キリスト教を禁教として糾弾した人物であるにせよ、その家族から多くのクリスチャンを出し、また後に自分の糾弾行為について誤りを認め謝罪しているようなところが紹介されている。我が子に神を敬う教えを授けているという記録については目を見張るものがあった。今井信郎は、坂本龍馬を斬った男であり、宣教師も斬るべしと考えていたそうだが、後にキリストを信じるに至った。その龍馬の家系を絶やさぬために、龍馬の姉の子の直寛が坂本家の養子になったというが、自由民権運動の担い手となった直寛は、明治18年に洗礼を受けている。政界を退いて後、牧師となり、教誨師として働いたという。三浦綾子の『塩狩峠』の主人公のモデル・長野政雄の親友であったともいう。
 こうした、隠れた信仰のつながりを、この本はふんだんに紹介してくれる。それだけでも驚きであるが、章立てされた人物のほかにも、コラムとして、そこに関わった人を短く紹介してくれるのもうれしい。中村正直やもちろん龍馬も入るが、森有礼、勝海舟などの名前も現れる。さながら明治の歴史の復習である。
 これほど、動乱の明治初期において、キリスト教が影響を与えているというのは、改めて驚かされる事実である。誰もが、聖書に対峙しなければ始まらなかったのである。福沢諭吉がそうであるように、西洋をモデルに国を建て上げようというとき、たしかに和魂洋才などと言ってみたものの、その言葉はむしろ、洋魂であるキリスト教や聖書の存在を意識していたからであり、また文化人や政治家ならば誰もが聖書と一度は向かい合わなければ何もできなかったという時代の空気を表していると言ってよいのではないかと感じた。
 内村鑑三は、当初自分だけは日本人の信仰を守るのだと、周囲が次々とキリスト教化されていく札幌農学校の中で、やがてまたとない大きな影響力を日本のキリスト教に与えていく人物として育っていくのであるが、それは西洋からの押しつけのような、あるいはその西洋の前にぺこぺこする、当時の日本の組織的なプロテスタント教会のあり方に猛反発をするという形で、つまり無教会を提唱し実行していくという道であった。
 聖書と向き合うとき、人は変えられる。自分が予期していなかった人生に導かれる。明治期の、新たな時代を築く人物たちは、そのような出会いを素直に感動し、自分を反省する眼差しをもっていた。どの人物も、自分の罪を認め、新しい生き方をスタートするのである。自分は正しい、自分は間違っていない、というところから出発する現代人においても、時代の閉塞感が強まっており、明治期のような新たな始まりが期待されているものの、かのような真摯さが果たしてあるのかどうか、問い直さなければならないと思われる。また、それほどの力をもった聖書たるものを、現代のクリスチャンは、本当に信じているのだろうか、というところにまで、私は徹底的に問うていく必要があると考える。もちろん、私自身がどうか、というところから先ず問うわけである。
 いくつかの魅力ある資料の写真がまたいい。これはお買い得であるかもしれない。




Takapan
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