本

『荒木飛呂彦の漫画術』

ホンとの本

『荒木飛呂彦の漫画術』
荒木飛呂彦
集英社新書0780F
\780+
2015.4.

 もう30年近く、『ジョジョの奇妙な冒険』を連載している。テレビアニメでも好評であり、独特の世界を見せている漫画家である。手書きにこだわり、しかし妙に道具に凝ったりはせず、自分の感覚を大切にしている……などと、知ったかぶりをしては行けないだろう。事実、著者については、殆ど知ることがこれまでなかったのである。
 漫画については、もちろん作品が勝負ではあるが、長年やっていると、少しばかり言いたいことも出てくるようで、漫画論のようなものもいくつか出版しているという。今回その新しいもので、漫画を描くという場面においての心構えや背景のようなものが明らかにされたというのが、本書である。それはまさに、現在進行形のプロにとってみれば、手の内を明かすものであるに他ならず、帯にも「企業秘密を公にするのですから、僕にとっては、正直、不利益な本なのです」という、本文の一文を大きく出している。こうしたものとしては、「最初で最後の本」なのだそうだが、それだけに、思い入れも深いように見受けられる。
 著者の作品について私は、失礼だが、通して読んだことがなく、ジョジョにしても、中身のある作品であることは聞き知っているが、どうにもバイオレンス調のものは受け付けない体質なので、うわべを見せて戴いた程度という、著者からすればまことに失礼な読者である。
 だが、漫画について知っていることが私と世代的にも重なるものが多く、感じていたことも肯けるものがあることが、本書を読んでいて分かったので、親近感を覚えたのは本当である。そして、漫画を私は描くわけではないけれども、その製作の上での考えなどについても、共感できる部分が少なくなかった。
 どうして私がこの本を購入しようと思ったか。息子が興味がある漫画の一つであるから、読ませてやろうと思ったのも確かだが、この創作ないし話を作り出すというところに、惹かれたのである。この本は、よくある「マンガの描き方」のように、道具の紹介やペン入れの実例などが描かれているのでは、全くない。むしろ、描くテクニックについては、皆無であると言ってよい。少年ジャンプの編集の背景や人気ランキングなどについても、すでに知っているという程度の読者が対象である。よけいな解説は何もないので、その道を知らない人には、理解不能な部分がたくさんあることだろう。その意味で、何かしら共有点がある人でないと、本書は楽しめない。
 そこへ私がどう重なったかというと、たとえば授業、あるいは説教である。話を作りだし、聞き手を惹きこんでいく、そうしないと聞くほうは居眠りをしたり、ほかのことを考えはじめてしまう。つまりは何もこちらが言っていることを聞いてもらえない、ということになる。確かに、仕方がないからその場に最後までいるというのは確かだろう。だが、言葉に力がなく、何も伝わっていない、ということは当然よくあることだと思われる。漫画の場合は、これより厳しい面があり、そもそも最後まで読んでもらえない。つまりは自分の連載が打ち切られるという羽目に陥る。必死である。この本は、描き方でなく、作り方を説く。つまりストーリーの作り方や冒頭の意味などが、体験をもとに細かく語られる。ここに、私は魅力があった。そう、話の最初で聞き手を惹きこむことなしには、授業も説教もない。そのうちいいところがあるから最初は我慢して聞いていてね、とはいかないのだ。漫画はまさにそうした世界だ。冒頭にどんな要素が必要なのか、しかしミステリーの要素も著者は強くもっているから、謎の部分にどのように関心を抱いてもらうのか、そのためには、といった配慮がふんだんに盛り込まれている。その点は、書店で手にとって開いたとたんに分かった。これは「買い」だな、と決めたのである。
 素朴な起承転結の大切さ、しかしストーリーが読み手を捉えるのではなく、問題はキャラクターなのだ、と強く主張する。聞いてしまえば当然のことであるかもしれないのだが、様々な経験と漫画雑誌の実情などとともに丁寧に語られるので、読むだけでも確かに楽しい。その上、このアイディアはもらえる、と思うことが多々あるわけだから、たまらない。本当に「企業秘密」をこれだけよくぞ語ってくださったと感謝の思いである。
 自分の作品を例に挙げ、たとえばここにこういう意味がもたせてある、といった、通常作品としては絶対にやらないこともいくつか紹介されており、貴重な資料であるとも言えるだろう。ありがたいこと限りない。
 ところで、このキャラクターの魅力が語られた前半の部分で、私は読みながら、これはイエス・キリストのことだとひしひしと感じていた。福音書にはストーリーというのが、十字架の場面を除くと、実のところさしてない。福音書に惹かれるというのは、そのストーリーに魅力があるのではないのだ。確かに、これはイエス・キリストのキャラクターが強烈だから、これほどに惹かれるのだ、ということに目を開かされた。と思ったら、荒木飛呂彦さん、すぐさまこのように書いていた。「社会のルールから認められていなくてもかまわない、たとえ孤独であっても大切なものを追い求める、これが最も美しい姿ではないでしょうか。究極のスーパーヒーローは、イエス・キリストのような人物です。誰かに崇められはするが、お金をもらったりするわけでもなく、ひっそりと死んでいくかもしれない、それでも自分の中の正しい真実を追う人、それが、ヒーローなのです」(69頁)
 そうだ、ヒーローなんだ。




Takapan
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