本

『旧約聖書と説教』

ホンとの本

『旧約聖書と説教』
越川弘英・平野克己・大島力・並木浩一
日本キリスト教団出版局
\1200+
2013.1.

 現在、説教を語ることにおいて信頼できるメンバーが集まっている。時は2011年11月。青山学院大学を会場にして、日本旧約学会が公開シンポジウムを開いた。「旧約学と説教」というテーマであったが、その成果をここに本として世に知らせてくれた。単にシンポジウムの記録というのでなく、四名の発題原稿に、そのときの応答の成果を加えたものがここにひとつの論文かメッセージのようにまとめられている。
 そもそも、旧約聖書は礼拝説教にどのくらい用いられているのか。新約聖書より少ないのではないかという印象は多くの人が持っているだろうが、これを調査して一定の数字で示したものは私は見たことがない。今回それが提示されている。そしてまた、そもそも説教のスタイルには基本的にどのような構造があるのか、というところから整理して、その旧約の問題のみならず、力ある神のことばの説教を展開していくための考え方が提案されていく。日本でいま礼拝を語らせると一番信頼できる越川先生の語である。
 平野先生は、アメリカの最新の傾向を踏まえて、旧約聖書を忘れることは、説教を骨抜きにしてしまうことを警告する。教会とは何か、会衆が問われているべきである。聴く側が説教を形成することも、弁えていかなければならないだろう。また、アメリカでの説教の例を2つ紹介し、私たちに何はともあれ実例を示してくれた。
 大島先生は、預言者の語り伝えようとしたそのイメージを私たちがどこまで自分のこととして受け止め、自分を変化させるところまで届くかを問う。そこに錯綜する未来と過去は、世知辛く私たちが分析するというよりも、現実の私たちを批判検討できるかどうかを問いかけているものと理解し、説教はその力をもっているはずだと示す。
 最後に控えた並木先生は、さすが旧約学の権威としてであろうか、強いパンチを浴びせてくれた。説教の核心を説くとともに、ヨブ記を用いて、それが神の言葉に「なる」読み方を具体的に突き付けてくれた。ヨブ記に潜むアンティフラシスというレトリックをたんまり教えてもらうこととなった。「見事にやってくれたねぇ」は、文字通りには立派な成果をもたらしたという意味を持つ言葉だが、私たちはこれを、「ひどいことをしてくれたねぇ」と言いたい時に使うであろう。ヨブ記の言葉をそのままの意味で受け取ると意味不明であっても、このような逆の意味をこめて用いている部分があることを考えると、何も難解なことはなく、また、従来思い込んでいたヨブ記の常識すら危うくなるという。そして、これまで矛盾と感じられていたことが無理なく自然に受け容れられるというのである。最後にヨブは主からやりこめられつつも祝福を再び受ける。そこには、ちゃんとつながる意味があるものとして理解されうるというのはよい学びとなった。聖書の深さをまた一つ教えて戴いたというところである。
 全体で126頁、しかしA5とサイズがあるせいもあるが、中身がぎっしりと詰まり、濃いものを感じる。これから自分が旧約聖書とどう向かい合うかという場合に、大きな助けとなる知恵が溢れていた。出会えてよかった本である。




Takapan
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