本

『三陸海岸大津波』

ホンとの本

『三陸海岸大津波』
吉村昭
文春文庫
\459
2004.3.

 2011年の東北の大震災の後、脚光を浴びた本である。
 作家としての吉村昭氏として捉えてみると、この本はとりたてて目立つ作品ではない。吉村文学の中ではあまり取り上げられるものではないのかもしれない。だが、これはまさに東北における津波の事実を、創作でなく、ルポとして遺した貴重な資料である。そのような作風は著者にとり必ずしも珍しいものではなく、ほかにも資料となりうるようなものがあり、何も三陸の津波だけを調査し続けたというわけではないのだが、文学者の眼差しは、言葉にして記すべきところが何であるべきかを、殆ど直感的に知っているようである。必ずしも厚い本ではないのだが、読者が知りたいことは全部そこにあるような気がしてならない。
 三陸地方は、そのリアス式海岸という地形上の特質に加え、実際地震多発地帯に面しており、津波の被害が出る条件の揃ってしまつた地ではある。だが、この地形は同時に漁港としては恵まれたものとなっており、それ故にまた、港近くに居を構えたい気持ちになるのも当然である。
 著者は、東北を訪ね、実体験としてこの津波を知っている人と出会い、そこから話を聞いている。そこで、調査したのは、明治29年の津波と、昭和8年の津波、そして1960年のチリ地震津波である。これら三つの津波の背景と状況、それからそれについてのいくつかの証言がここに掲載されている。
 ひどく感情をこめて記すことがないようにしてある。これは成功だと思う。しかし、感情が沸かないで記しているなどとはどの読者も思うことはないはずだ。多分に涙を流しながらペンを動かしていたことだろうと推測することができる。
 敢えてそれらをここに例示する必要はないだろうと思う。どうか実際に御自身でお読み戴きたい。短い証言の中に大きなものが詰まっていることがひしひしと伝わってくる。
 この人たちにとり津波は元来「よだ」などと呼ばれるもので、これを解説の山文彦氏は、まるでゴジラや怪獣のように見立てた呼び方ではないかと推測している。現地の人にとり伝えられ恐れられた独特の表現が当然あるはずだ。それに、津波という言葉自体、一種の造語であって、土地の生の言葉だというわけではない。
 悲惨な被害、時にそれを伝える絵なども掲載されている。しかも私たちはこれを今回、テレビの生中継で見てしまった。そこには遺体そのものは映し出されていないはずなのだが、当然そこに多くの人の死が含まれているのは間違いなく、詳細に映像を分析すれば、いろいろなものが撮影されているのではないかと思われる。ショックを受けるものでもあるが、同時にまた、画期的な資料ともなり得たのは確かであろう。せめて、これらを今後の防災あるいは減災のために研究しなければならないだろう。
 二度の文庫化がなされた本である。読み継がれていたことは間違いない。三陸について、津波について知るのに必要な文献である。しかし、ただ悲しみに暮れるために書いたのでもないだろうし、ただの記録として書いたのでもないだろう。著者は、津波はこれからもなくなることはないだろうと理解している。その上で、人間は防災の意識や技術が高まっていくために、犠牲者は少なくなるだろうと期待している。事実、ここに描かれた三つの津波において、それぞれ条件はいろいろ違うのではあるが、被害は徐々に小さくなってきている。見た目には景観を壊す防波堤も、必要なものだと理解を示しつつ、東北をあとにする著者である。解説者も希望をもっていた。
 だが、2011年の地震後の津波はそれらを踏みつぶしてしまうような出来事となった。
 実は著者は、津波の後、しばらく人々は高台に暮らすようになるのだが、やはり漁業には不便なのでしだいに元の海岸に降りていくようになるのだと、こぼしているという。魚という宝を捨ててまで山に居座ることはできないのである。どうしてもそのようになっていく、それが気がかりだというのだ。はたして、その心配はこのたび現実のものとなってしまった。なんとも、せつない。
 この本が震災後、十万部以上今売れているという。さらに増えているかもしれない。その印税を、著者の妻にして芥川賞作家の津村節子が、全額被災地に義捐金として送っているという。この本の何がどうということを私のような者が紹介するよりは、実際に本を開いてみることを強くお勧めする。どうお考えになろうと、それもまたそれぞれの方次第である。




Takapan
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