本

『18cmの奇跡』

ホンとの本

『18cmの奇跡』
みなみかつゆき
三五館
\1500+
2015.5.

 衝撃だった。
 副題には「「土」にまつわる恐るべき事実!」とある。こんもり土があり、上から植物の芽が出ている。この写真が、タイトル文字2つ分くらいの大きさで、タイトルのすぐ下にあり、他はもう真っ白というシンプルなデザイン。タイトルの「奇」の文字だけが紅色のようで、他の文字は黒。
 中を開くと、どの見開きにも写真が使われている。中には、両頁とも写真であるところもある。しかも、その上に文字の文章がある。ポイントは、かなり多い。美しい写真をバックに、まるで詩を読んでいるみたいだ。小さな文字で、詳しい解説も随所にあるが、それでも20mm×40mmくらいの中にあるくらいで、これはやや詳しい内容だ。小学生などが読むときには、そこは無視して、大きな文字の本文を辿っていけばよいようだ。
 全体の四分の一ほどまできたとき、「人類が生きるために使用できる土壌を地球の陸地表面に置いてみると、それはたった18cmの厚さにすぎない」という文が見える。土に限らず、水や空気などについても、どうように地表との比較における数字がそこに並んでいる。その18cmという長さが、この本の縦の長さにほぼ匹敵するということにも触れられており、これは本の製作上のこだわりではないかと思われる。
 物語のように続く話のスケールは大きい。まず地球が生成したときの叙述から始まり、地球環境がどう変化してきたのであるか、最新の研究を許に描かれている。地球の歴史は、やがて人類史に入る。古代文明の中で、土壌がどういう役割を果たしていたか、が説かれる。
 というより、どうして土なのだろう。衒学じみてはいないだろうか。
 いや、ご心配なく。叙事詩のような本編は、一気に読めるから、全体の物語も途切れずに押さえていくことができる。そこにはところどころ、辛辣な文明批評もあり、また本当に土が喋っているかのような気がするような聞こえ方がしてくるゆえ、ここにある叫びは本物なのだというふうに思う。
 ギリシア文明が土でだめになったというような書き方がなされてくる。休閑されない土壌の衰えから、農業生産の衰退へとつながり、経済が弱まったというのである。様々な文明が衰えたことを、農業生産だけで説明しようとしている。他の要素を捨象した、乱暴な見方だ。だが、そこに注目する視点は重要だと感じた。人間の表向きな活動や政治的失敗などでのみ、歴史を語るとき、人は、人間が自然に対して何をしているかという点を見ようとしていないとも言える。その歴史観の積み重ねが、いま環境の危機を呼んでしまったと考えることも可能だからである。そもそも自然の管理を委ねられた人間が、自然の動向を思いやることなく自分たちの利益ばかりを追求してあらゆる工夫や改造をしてきたことが、気がつけば取り返しのつかない自然破壊をもたらしてしまっていた、という見方は、概して否定しようのない事実ではないだろうか。
 灌漑農業は生産増大をもたらしたが、そこにも罠があると著者は言う。土地と塩の関係が崩れていくというのである。土と土壌の違いについても私は目を開かれる思いがしたが、土壌は生命を支えている。人は「土」だというのが聖書の思想でもあったことを改めて思い起こす。だから、この土への視点については、観念から抜け落ちていたと痛感したのである。ひとつひとつの著者の指摘をここで再現するわけにはゆかないが、いかに人類が土を壊しているか、そしてそれが食糧と環境を悪い方向へ追い込んできているか、その言及については、どこか詩的でありながらも、肯かざるをえないところが多いように受け止めた。土は命の源だったのである。
 人は、経済という建前の中で、命を破壊することをしてきており、いまなお続けている。この視点を、改めてベースにして、そこに立って考えていくことが必要だ。2015年は、国際土壌年に定められたのだという。知らなかった。それが恥ずかしい。著者は、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の2007年度ノーベル平和賞受賞に関わっている。これだけの運動と重要な知恵について、あまりに知らされていないようにも感じたわけで、これではいけないという思いに動かされた。この捉え方は、大切にしていこうと思う。




Takapan
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