本

『1ねん1くみの1にち』

ホンとの本

『1ねん1くみの1にち』
川島敏生写真・文
アリス館
\1680
2010.9.

 はたしてこれを絵本と呼んでよいのかどうか。全編写真である。だが写真集ではない。そこにはストーリーがある。まさに、絵本の絵が写真になった写真なのである。しかも、そこには一年一組のリアルな姿が撮影されている。朝一番に教室に来る児童二人。一番に教室に入るのを競っているかのようだ。
 だが待てよ。誰かの筆箱が机の上に忘れ置かれている。やがてその持ち主が現れて、やっぱり学校に忘れていたんだとほっとする。この様子が、漫画の吹き出しという手段で書き込まれているのだ。
 CGやちょっとした画像加工が誰にでもできる時代になった。吹き出しを入れるくらい、別に何事でもないことであるだろう。それは、子どもたちの実際の会話が採用されているはずであるが、すべてがそうとは限らない。ちょっと筆者がウィットを利かせて、楽しい会話や、子どもの脳裏に浮かんでいるであろうことを言い当てるかのようにして、吹き出しに載せている。
 それにしても、かなりリアルだ。どうせ教室のあちこちに座っている一年生である。みんなが、アニメか何かのようにちゃんと一つの話題に向き合って会話がその問題を進展させる、などということがいつも起こっているはずがない。一人一人が全然違うことを考えている。同じものを先生が見せても、頭に浮かぶことは皆違う。こうした様子が、吹き出しを沢山置くことによって、はっきりする。確かに現実はそうなのだろう。
 国語に始まり、生活科や音楽などの授業が続く。子どもたちは、思い思いに行動し、発言し、また笑顔を見せる。ふざけているようなセリフの中に、実に自然な営みが伝わってくる。やはりこれは真実なのだろう。
 おおきなかぶのお話が読まれている。我が家の小一の息子が、この本を開いて、はまった。自分が体験している日常が、なんだか楽しい漫画のような形で本になっているからだろうか。あたりまえの毎日の風景が、改めて時を止められてこのように目の前に掲げられると、つい見入ってしまうのだ。
 これは同じ教科書だ、これは違う。息子は何度も開いては確かめ、報告してくる。
 皆が帰宅していき、真っ暗な夜中の学校が映し出される。昼間が賑やかなだけに、かなり怖いという印象を与える。そしてまた、朝がくる。
 写真の隅に、必ず学校の壁によく掛けられている時計が置かれ、時刻を示す。時刻の何たるかを知っている大人は、その時間メモに納得しながら見ていく。一年生はどうか。きっと、時間の過ぎ去るのなんかを数える暇もなく、その時を精一杯生きているのだと思う。計算もいらない。せめてね少しばかり先のことを気にすることで十分である。子どもは今を生きている。その様子をこのように客観的に見てしまったら、子ども自身はもしかしたらつまらないのかもしれないが、やはり自分の日常というポイントは受け容れやすい。
 百聞は一見にしかず。ごらんになって確かめてみることをお勧めする。ちょっと、はまるかもしれない。




Takapan
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