復興の幻

チア・シード

ゼカリヤ14:9-11   


エルサレムを復興する。神はそう告げました。ゼカリヤは、不可思議な幻を重ねた後、このことを述べます。残された者がきっといるから、主の日に救われる民もいるということになります。その日は主しか知ることのない日です。エルサレムから生ける水が流れ出て辺りを満たします。これは実際に大地を潤す雨のイメージに重なるものでしょう。
 
なんとも象徴的な出来事です。雨季も乾季ももう気にすることはありません。主がすべてのすべてとなり、常に命を与える存在となります。他の勢力は、もう何の力も発揮しません。偶像はもちろん最初から力などありませんが、人の力も無力です。主が全地の王です。地上の主はただひとりです。
 
黙示録では、新しい都エルサレムは、天から降ってくるのでした。どうしても天国という名称を私たちは頭に浮かべますが、それだと天へ昇っていくイメージが伴います。しかし聖書はキリストにしても新しいエルサレムにしても、降りてくるのです。神は天で私たちを待っているのではありません。神は地上を支配するのです。
 
ただ、その地上というところが、私たちの想定する土地のことでよいのかどうか、これも疑問だと言えます。天地は滅びると告げられています。いま私たちが立っているこの地上であるのかどうか、よく分かりません。およそ人の世界ではなく、外から、神の側からやってくるという構図を語るに際して、地上という表現を使ったということは分かります。
 
エルサレムの北東のゲバから南のリモンまでは、高地続きです。けれどもそれらの土地がおしなべて低地となってしまうと称するほどに、全く新しい都が現れるのです。いま私たちの目に見える形そのままなのではないのでしょう。ベニヤミンの門、角の門はエルサレムの北側にあり、ハナンエルの塔は西側に、王の酒槽は南側にあると言われていますが、このエルサレムは高い位置にあるようです。聳えるかのようです。
 
そこに人々が住み着くことになるとも言います。主に招かれ主と共にある人々がいるのです。安住の地となるエルサレムの予告は、この後イエスにより更新されます。イエスの備える、人々のための居場所の説明もありますから、イエスの血の契約で否定され尽くすということはありません。旧約の預言は、イエスが改めて引き継いだという理解を、できるだけ重ねたいと思います。


Takapan
びっくり聖書解釈にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system