罪人を呼び集める

チア・シード

マタイ9:9-13   


マルコ2章を踏襲しての記事です。マルコは、湖の傍で集まった人々に教えをなしていたことに触れていましたが、マタイはそうした出来事の流れには関心がないかのようです。また、従っていた人についても、できるなら叙述したくないというように省略してしまっています。しかし旧約聖書の成就に何でも結びつけたいようで、自ら探したのか、ホセア6:6を持ち出して根拠づけています。
 
マタイはこのホセア書の言葉を12:7でも再び引用しており、もちろんそちらでもマルコは考えも及ばない預言の言葉です。よほどマタイはこの句を使いたがっていたのでしょう。イエスの出来事は、旧約聖書の中に理由をもつものであるべきだという考え方に基づいていると思われます。
 
さらに目立つマルコとの相違は、人物名です。マルコは、アルファイの子レビだとしているのを、マタイと呼んでいます。しかも「マタイと呼ばれた人」というように、他人事のように記しています。十二弟子のひとりにはっきりカウントしたかった意図が感じられますが、そういうことをまさに本人がしたのだ、と解釈されて、この福音書自体がマタイによるものだと歴史の中でいつしか決められてしまいました。
 
さて、イエスがマタイに呼びかけ、マタイがこれに応え、立ち上がります。そしてイエスに、あっという間に従って行きます。このスムーズさがリアリティを伴って伝わる読者は、現代にはいないでしょう。主に従うことの即時性という意味では、ある種の象徴性を以て感じとることはできますが、漁師たちにせよ、すぐに従ったという描写は、私たちには行動そのものの記録としては、少し引かせるものです。
 
新共同訳は「その家」で食事をしたといいますから、マタイの家であるかのように聞こえますが、原文からするとそれは自明なことではありません。マタイが徴税人たちの一人であったゆえ、マルコはレビの家としているものの、マタイ自身の記述はぼかされています。それでも、宴会が開かれます。聖書で宴会は、神の国の集いを表しているのが一般的です。神の国は宴なのです。
 
ホセアが、エフライムとユダ、すなわちほぼイスラエルの全体に、愛をこそ求め、神と交わることを期待していたのに、形式的な従い方ばかりだと嘆いているあたりを、どうしてもマタイは重ねて描きたかったようです。ファリサイ派への攻撃が一段と激しいマタイですから、そことの差異については非常に強い意志が働いているものと理解できます。
 
律法を自ら重視しながらも、もっと厳しい愛の法に従うことを求めたマタイらしい姿勢です。自分で自分を正しいと称するようなところに、イエスは来ません。神の国は、自らに罪ありと認める集まりにこそ来るのです。私たちの教会はどうでしょうか。救われた喜びは結構なのですが、いつしか高ぶって、マタイが攻撃する矛先に位置するものとなっていないでしょうか。いえ、教会と言わず、私自身が、罪人としてその宴の末席に与る喜びの内にあるでしょうか。


Takapan
びっくり聖書解釈にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system