救われるために

チア・シード

使徒2:37-42

使徒

聖霊降臨、そしてペトロの説教。そもそもこの説教が、記述通りにその日その時になされたと決めつける理由はないように感じます。このような物語を描くことで、教会の出来事や教会に加わる手続きを伝えていたのではないかとも想像できます。つまり、今風に言えば企業紹介のパンフレットのように、キリスト教会の成り立ちと、そこに加わるときのマニュアルのようなものがまとめられている文書である、と捉えては、不謹慎でしょうか。
 
ペトロの説教を聞いた人々は、つまり教会の紹介をされた人々は、これに対してどのように応え、そしてどういう行動を求められているのでしょう。人々はまず「兄弟たち」と呼びかけています。すでにこれだけで、教会に親和的でいますぐにでも教会の仲間に加わりたいという気持ちがこめられています。そういう人だけが、このパンフを味わう資格があるのです。キリストの弟子たる仲間に対して、「兄弟」と呼びかける用意のできている人が、読み進むことができます。
 
続いて「わたしたちはどうしたらよいのですか」と尋ねています。これも、本当に右も左も分からずどうしてよいか分からないから尋ねているのではなく、教会に加わるための条件は何かを提示させようとするQ&Aのコーナーであるように見ても差し支えないと思われます。そもそも、問いかけというのは、神から人に投げかけるものでありました。「どこにいるのか」「なんということをしたのか」と正面から神が問うとき、それは人間にとり危機的状況にある場合でした。問われた者は、真剣に神と向き合い、これにどう応えるのかを自らに問う必要がありました。
 
「どうしたらよいのですか」という問いも、何を見つめて問いかけているのか分からない、というものではないはずです。明確に、神の方を向いています。もちろん、場面はペトロを見ているのですが、ペトロを通して神と向き合っているに違いありません。ペトロがこれに応えますが、いま聖霊を受けたばかりのペトロがこれだけの整然としたことを初めて知ったなどということは考えられません。教会が十分練ってつくりあげた回答であったと思われます。そして、ビギナーに説明をするのです。
 
入会の条件は「悔い改め・洗礼と罪の赦し・聖霊を受けること」でした。聖霊は、条件というよりは、前者二つの結果のようなものです。それで「賜物」という語が付いています。それは神の約束です。そしてここにいる人々は、エルサレムに住む人々というよりは、外国の言葉を知っているいわば異邦人なのですから、ここですでに、異邦人に門戸が開かれていることがはっきりします。遠くのすべての人に与えられている約束だというのです。コルネリオを待たずして、実はちゃんと異邦人への道が拓かれていたのです。
 
また、悔い改めと洗礼ないし罪の赦しとくれば、これはバプテスマのヨハネを思い起こします。ペトロが洗礼を受けたかどうか、私は知りません。ペトロ自身が、この救いのプロセスを経たのかどうか、分かりません。最後の結果としての聖霊を受けることだけは記されていると思います。
 
さしあたり、バプテスマのヨハネが呼ばわっていたことが、ここでは救いの条件のように書かれてあるところを見ると、初期の教会では、ここに「イエス・キリストの名」が加わることに重大な意味があったのではないかと推測できます。つまり「名」というものが、どれほどの重みをもっていたか、ということを知ります。
 
この時点ですでに120ほどの人が一つになっていましたが、洗礼を受けていたという記事も見当たりません。誰が授けたのかも分かりません。ではこれは、水ではなく、聖霊のバプテスマだったのでしょうか。それなら120人が受けたのは分かります。ペトロも受けました。しかしそうすると、賜物として聖霊を受けるという記述がうまくつながりません。やはりこの洗礼というのは水であったと考えるほかありません。後にフィリポがエチオピアの宦官に水で洗礼を施しています。
 
さらに、この日に3000人が洗礼を受けたとも記されていますが、尋常ではありません。日中で1分間に4人ずつでないと間に合わず、まして早朝でなくこの説教の後からですから、その倍くらいの数字になるでしょう。24時間の一日と決めつける理由はない、とすべきでしょう。
 
教会では、その他の話もします。力強い証しもあります。この世は邪悪ですから、そこから救われるべきことが付け加えられます。そして、仲間に加わった人々は、使徒の教えを大切に学びました。もちろん新約聖書はまだありませんから、イエスの目撃者の証言を熱心に聞き、反芻したことでしょう。交わりというのは、互助活動であるかもしれません。生活支援、あるいは福祉的なことをしていたことは、その後の使徒言行録の記述からも分かります。
 
パン裂きという語が面白いのですが、もちろん聖餐のことです。当初は、食事のことを指していたのかもしれません。そもそも食事を共にするというのは、親しい間柄、仲間ということを認めてのことなので、仲間に加わったという証拠であるとも言えます。そこへ、しだいにキリストの肉と血という考えが大きくなり、やがてそれが独立していったと考えられます。
 
そして祈りは、神殿に上って祈っていたという記述がこの後にあることから、ユダヤのしきたりを守っていたと思われます。初期の教会は、ユダヤ教と別のものというように考えていなかったのでしょう。ユダヤ教という認識があったかどうかすら分かりませんが、それの完成として次第に捉え方が決まっていったものなのでしょう。さしあたりここには、仲間になることの中に、救われることを見出している様子を見ることができます。救いとは何か、それは後に次第に教義化していくようになるようです。


Takapan
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