軍備を求める心理

チア・シード

サムエル一8:4-18   


サムエルは士師としてイスラエルを治めました。同時に、預言者としても活躍しました。部族の緩やかな結びつきしかなかったかつてのイスラエルたちの中で、統一感覚を有する政治形態へと発展していった中にいたように見えます。ともかく、イスラエル全体のオピニオンリーダーであったことは確実です。
 
祭司でもありました。ペリシテ人がイスラエル人にとり脅威でしたが、なんとか守衛を果たしてきたといえます。しかし、そのサムエルも人間です。老いの時がきました。かつては士師が立て続けに現れて、イスラエルをその都度導くことも可能でしたが、もはやその持ち回りの組長のような仕組みでは対抗できない状況になっていました。
 
イスラエルの周辺状況、特にこのペリシテ人の力は、イスラエルに大いなる危機感をもたらしました。サムエルの次には、一体誰がイスラエルをリードしてくれるのか。人々は不安になります。サムエルには息子が二人いました。ヨエル、アビヤという名前まで残っています。しかし二人とも無能な役人でした。エリの息子たちのことを思い起こします。
 
イスラエル各部族の長老たちは意を決します。王を立てるべきだ、と。現リーダーのサムエルがこれを認めないと新制度も正式に発足することはできません。要求されたのは、王、すなわち軍事力の象徴でした。王様というのは貴族のことではありません。権力を以て軍備を調え、常備軍により国を強化する軍人の頭なのでした。
 
ペリシテ人に対抗するために軍備を制度化せよ。かつては農民が有事に徴兵されて戦うというのが一般的であったのに対し、これからは常備軍を求めるというわけです。民はこれを一致して求めました。サムエルは戸惑います。それがよいとは思えません。戦いは主がするものです。主を信頼することになる、軍備への依頼は、主からの離反となるからです。
 
でも、それをいきなり民にぶつけると、感情的によろしくありません。軍政を敷くと実際どういう社会になるのか、シミュレーションします。政治的経済的に民の負担が限りなく増えるのだぞと、具体例ふんだんに知らせます。けれども、一度恐怖に支配された人間の心はもう変わりません。あらゆる犠牲の理がもう判断できなくなっていたのでした。
 
私たちは学ばなければなりません。仮想敵国を定め、軍事的脅威のアジテーションの下に、また陰謀説すら混じえ、軍備は当然ではないかと叫ぶ声がいまもあるからです。敵が来たらどうなってもいいのか、と凄む勢力があり、それに追随するであろう予備軍も大勢待っています。しかしこの勢力自身、実は怯えているのです。臆病の中に、人の頭数を引き入れようと企てているのです。このカラクリを見抜いておくのが、神を知る私たちです。


Takapan
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