信仰は個人の問題?

2001年11月


 イエスは、一人一人がどう信じるかを問いました。

 二人がいっしょにいても、一人は神にほめられ、一人は退けられる……そういったエピソードには事欠きません。神を信じる者、神に従う者は、横にいる人がどうであれ関係なく、天の御国に導かれる、とイエスはたびたび語りました。十字架の上においてまでも、両側にはりつけにされた死刑囚の一人は悪態をつくのに対して、一人は今日パラダイスにいるだろう、と慰めを与えました。

 イエスは、一人一人がどう信じて従うか、を問いました。


 貧しく、身分的にも最下層でもがいていた人々にとって、それはどんなに福音(良い知らせ)であったことでしょう。なにしろ、信じるならば、その人の生まれだとか、財力だとか、宗教的知識だとかに関わりなく、とにかくその人を天国に連れていこう、というのですから。飼い主のいない羊のように迷っていた人々が、イエスになびいていった様子が想像できるような気がします。

 それは画期的なことでした。イスラエルは、民族として救われると言い伝えられてきたからです。

 神は人を造り、その中でイスラエル民族を愛し、特別なものとして選んだとあります。それがイスラエル人の誇りであり、また精神的な支えでした。だからこそ、二千年の時を経て、不死鳥のようにイスラエル国家が蘇ったのです。


 申命記に限らず、旧約聖書の律法のところを読んでいると、素朴な疑問に出会います。

 こうせよ、ああせよ、そうしてはならない……と繰り返される神の命令文において、「あなたは」とあるかと思えば、「あなたたちは」といつの間にか変わっている。はなはだしくは、一つの文の中に両方交じっているところがあるのです。

しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。(申命記4:29,新共同訳)

 これは、現代風に考えれば矛盾です。とても読めた文ではありません。しかし、この単数と複数の違いは、ほとんど意識されることなく記され、読まれているのが実情です。たぶん言語的にもそういう傾向はあるのでしょう(英語だってyouは一人か二人か多数か分からない)が、もしかすると、イスラエル民族、そしてイスラエル共同体においては、個人と集団という意識が対立するものとしてでなく、当然同一のものとしてとらえられていたのかもしれません。

 つまり、イスラエルの民なくして自分というものはなく、自分なくしてイスラエルの民というものもない。イスラエルの問題は自分の問題であり、自分の問題はイスラエルの問題である、というのが常識(common sense)であった可能性がある、と思うのです。

 イスラエル共同体の中で、自分という存在は価値のないものではなく、どんなに小さく、たんなる犠牲的な役割を果たすだけの存在であっても、イスラエルの一部なのだ……。


 これを理解するために、たかぱんは、戦時中の日本人の思いを想像してみました。

 お国のために、日本男児として、どう行動するか……。

 そこに個人の思想、個人の思惑、価値観、そういったものは反映されません。一色に塗られていくその様子は、たしかに有事における当然の姿でしょうが、個人と集団という対立を無意味なものにしていきます。

 こうしたことの反省として、個人を尊重する考えが広まりました。それはそれで、よかったのでしょう。


 信仰は個人の問題。だから、家の仏壇を粗末にしてもいい。先祖代々の墓などナンセンス。

 原理主義に立つと、そうした結論になるでしょう。

 たしかに、信仰は一人一人の問題ではあります。そして、聖書が他の神を拝むなと命じているかぎり、仏壇に手を合わせることや、いわゆる墓参りは、聖書をよく読んだキリスト者は、そんなことはしないでしょう。けれども、イスラエル民族のような状況ではないにしても、私たちは、自分一人だけで生きているわけではありません。世界がいくつかの危機を抱えて時を過ごしている現代の中で、自分さえよければの思いが面に出ていくことは、問題がありすぎるように思えてなりません。

 自分は、神から「あなた」とも「あなたたち」とも呼ばれる存在です。

 苦しみの中にある人のことを聞いて、胸が痛まないはずはありません。

アフガンの小児3分の2に貧血などの症状 NGOが報告
 アフガン国内で診療所を運営するNGO「OMAR」の診療実績では、3年続きの干ばつによる食糧不足で、成人の半数、小児の3分の2に貧血や低栄養などの症状が出ているという。また空爆開始後、マラリアの悪性症例が増え、OMARの医師は「約2割の人に結核が広がっているようだ」と話していた。(asahi.com 2001.11.6)

 今はアフガンのことがニュースで取り上げられますが、ほかの地域にも、今このとき、笑うことさえできない人々がいます。あるいは、自分のすぐ隣にさえも。

 世界の人口が61億という発表もありました。同じ時代に命を授かった私たちが、同胞の中に痛みを感じるということを忘れてはならない、と思います。



Takapan
聖書ウォッチングにもどります

たかぱんワイドのトップページにもどります






 
inserted by FC2 system