放蕩息子の父

2006年3月


 よく知られている譬えとして、「放蕩息子の譬え」(ルカ15:11-32)というのがあります。短編小説の鬼才、芥川龍之介をして、世界最高の短編小説、と言わしめたのが、この下りです。

 次男が、まだ存命の父に、財産の半分を分けてくれと頼む。父は望むとおりにし、次男は大金を手に遊興に金を使い果たす。無一文となった次男は、最低の生活を続けるよりは父に許しを乞おうと思い、父の家に帰る。父は、待ち侘びていたかのように出迎える形となり、戻ってきた息子に服を着せ宴会を開く。その横で、父のもとで黙々と働き続けていた長男が妬む。しかし父は、いなくなったものを見いだした喜びを告げる。

 そういったあらすじです。

 

 父親はもちろん神を表します。神のもとを離れ、罪に陥った人間が、罪を悔いて神のもとに帰るときに祝福があることを教えます。

 また、それを日々思いにかけ、ずたずたになり戻ってくる我が子を遠くから見いだし駆け寄ってくる父親の姿に、神の愛の大きさが感じられます。

 さらに、父の傍にいながらこの戻ってきた次男を妬む長男を、そもそも神の近くにいたはずの律法学者など高慢な宗教者の姿に重ねていることを見逃してはならない、という見方こそ、たとえ話をしたイエスのシチュエーションからすれば、第一のものとしなければならない、とも言われています。

 私も、こんな三つの角度で読んでいました。

 が、フッと、別の意味をもたせてこの物語が心に広がっていくのを覚えました。

 

 この父親は、子どもをどう教育してきたのか、あるいは教育するつもりだったのか、ということです。

 今、父親ができすぎた神であるとするばかりでなく、人間である世の父親として見たらどうか、という意味も含ませて考えてみたいと思うのです。

 

 まず父親は、財産の分け前をください、と突然の頼みを受けます。頼んだのは、弟だとイエスは言っています。「それで」、父親は財産を「二人に」分けてやっています。

 法的な問題もあったのでしょう。頼む弟にただ一部をくれてやったのではなく、兄にも分け、この時点で父親は権利上いわば無一文になっているわけです。

 ただし、弟は半分ではないと思われます。長子は他の二倍をもらえるそうですから、弟は、父親の財産の三分の一を受けたことになります。

 このとき「それで」には、「反対意見をもった」とか「悩んだ」とかいう含みがありません。父親は、子どもの要求の通りに叶えてやっています。いくら箴言で、子どもを怒らせてはならない、とあったにしても、これは甘やかしのように私たちには見えます。果たしてたんに「甘やかし」であるのかどうかには、当時の慣習や考え方などもありましょうから、とやかく言わないにしても、それにしても、条件付きでさえなく、いやにあっさり全財産を与えています。

 私たち人間は、そう簡単に財産を分けてやることはしないでしょうが、観点を変えると、親として得ている経験のすべてを、子どもに伝えようとしたい気持ちはたしかにありますから、親としての知恵や経験を、子どもに残らず与えようとする意味では、悩むこともなく、教えようとするように感じました。

 

 次に「何日もたたないうちに」、弟は財産を「金」に換えて、「遠い国に旅立」っています。弟が何をして何を感じたかについては、今は触れません。

 問題は父親です。この父親がそれをどう受けとめたかは、想像するしかありませんが、結果的にこの次男を待ちこがれていたということになっています。

 父親が、人生に大切なことを分け与えたのに、次男はそれを「金」に換えました。交換可能な道具としか考えていなかったのです。「遠い国」とは、父親の心が届かないようになったことを示すものでしょう。

 息子はいつか父親を離れます。反抗期からすでに、父親を憎むことすらありますし、潜在的には父親殺しという心理的な説明がなされることさえあるわけです。いつまでも、中性的な幼児であったころのようにはゆきません。父親の思いや願いも別のものにすり替わって、手の届かないところに去った息子を、どのように思うかは、察して余りあるものがあります。

 

 ただ、このとき、身近には長男がいます。長男には、財産の三分の二を与えました。そして父親もそばにいます。財産の有無に拘わらず、父親には権威がありますから、長男も蔑ろにするようなことはしませんが、この世での実権はすでに長男が握っているともいえます。

 父親は、この長男にも気を遣っています。むやみに弟のことを嘆くこともできません。長男がしっかり後を継いでいるのですから、父親として何も問題はない、としなければならないわけです。

 家督を相続しない次男が家を出ても、本来当然のことであるのかもしれません。だのに、父親は後でそれを「いなくなった」と称して、心の内では悲しんでいたのです。家を継がせる親の役目として、これは理不尽な面もあるのではないでしょうか。どの子をも同じようにさせるわけにはゆかない掟の世の中で、次男が家を出たことを、なぜ嘆くのでしょうか。

 父親は、次男をそばにおいておきたかったのです。父親の目の届かないところにいるというのは、もう「いなくなった」ということなので、いなくならないでほしい、というわけでしょう。

 これは、神学的には別の意味があって然るべきですが、世の父親としては、はたしてどうなのか、私には分かりません。そういった読み方はよくないはずなのですが、それでも、教育者としての父親は、ここでいやに子どもから離れられずにいます。

 

 財産を使い果たした次男は、父のところには、ありあまる食べ物があることを知っています。飢饉の地にいるのです。

 父親は、次男が、飢饉の地にいるに違いないと知っていたのでしょう。もしかすると、飢饉の噂を聞いてから初めて、息子の帰るのを予感したのかもしれません。

 子どもの失敗、子どもの挫折を知って後、あるいは感じて後、父親は、いてもたってもいられなくなりました。

 とすれば、先に弟のことを嘆く云々という前提で考えていたことも、実は、この「飢饉」というのが大きなターニングポイントとなっていると捉えることはできないでしょうか。つまり、「飢饉」があるまでは、弟のことはさして心配はしていなかった。放蕩のことなども知ることがないのですから、「飢饉」によって、弟の身を案じていただけのことだ、と考えてはどうでしょう。

 

 すると、こういうことになります。

 父親は、家を出た次男を責める気持ちがないわけではなかったが、とりたててそのことは気にしないで平穏な生活を続けることができた。しかし、飢饉が起こっているという知らせに、家を出た次男が、飢饉で困っているであろうと察した。それが心配で、困り果てて戻ってくるのではないか、と毎日遠くを見やって待っていた……。

 そうなれば、次男に走り寄って接吻したのも当然のこととなります。次男は、父親に向かって、父に対して罪を犯したと口にします。息子と呼ばれる資格もない、と反省します。けれども、これより先の言葉、次男が練習までして決めていた言葉である、「雇い人の独りにしてください」はついに聞くことのないままに、父親はうれしさの余り、良い服を着せろ、家族の証しとしての指輪をはめさせよ、我が子として認める意味での履物を与えよ、と使い人に命じます。さらに、ごちそうである子牛の料理を指示します。死んでいた息子が生き返った、いなくなった息子が見つかった、と喜ぶのです。

 飢饉に遇して子を案ずる父親として、実に正当な振る舞いです。ここでのたとえ話の中では、この話を聞き手として聞いている人々は放蕩という背景を知っていますが、当の父親は、放蕩ということを、たとえ予感はしていたにせよ、まったく知らないままに、これだけの指示をして祝宴を始めています。

 

 この祝宴の知らせを受けて、畑仕事から戻った兄は、「怒って家に入ろうと」しませんでした。兄は、父親に一人で仕えてきたのに、宴会に子牛どころか子山羊さえくれなかったではないか、と不満を垂らします。

 兄は、自分で財産を管理していたはずです。宴会に父親から子牛をもらう必要がなかったのではないでしょうか。ならば、ここでいう子牛の問題とは、経済的なものというよりも、父親の心に不満をもっているとしておきましょう。

 父親として、正当な相続者たる兄のほうを、怒らせてしまいました。この社会では、どの子も平等に扱うことは、ルール違反であったのです。父親として、子どもに対して世の中のルールに反する扱いをしてしまいました。

 ところがここで長男は、弟の放蕩を知っている言い方をしています。物語からすると、実に唐突です。これは、この物語を客観的に聞いている聞き手には周知のことですが、当の登場人物は知り得ない情報です。

 もちろん、それらは登場人物も知ってのことなのであり、それは暗黙の了解なのだ、という説明が常識的なのでしょうが、私は敢えて、文面通りに受け取り、その上で、父が子に与えるものの譬えだけは解釈を用いています。極めてアンフェアな立場ですが、構わず続けます。

 

 父親は、自分のものを全部長男のものだ、と言います。財産の問題ではすでに分けていますので、もしかすると、分けただけで与えていない、という制度なのかもしれませんが、こでは精神的なものを含めて捉えていますので、「お前はいつもわたしと一緒にいる」という言葉のように、父親の知恵と共にあることを宣言している点を指摘しておこうと思います。

 その上で、死んでいたのが生き返り、いなくなったのが見つかったゆえに、祝宴は当然だと説得しようとしていることを取り上げましょう。

 子どもの一人が飢饉で命が危ぶまれていた。それが戻ってきたのだ、祝って何が悪かろう、という言葉ですが、はたして長男の心を慰めることができたのかどうか、分かりません。

 実際、この譬えが話された後、長男の立場で登場させられていた、ファリサイ派や律法学者たちは、どうなったでしょう。続いて16章では「弟子たちにも」イエスは語った、例の不正な管理人のたとえというのがあります。その次に、14節から、「金」に執着するファリサイ派の人々が、イエスを嘲笑います。

 以後、説教がどう展開しているかに注目すると、さらに考察は面白くなっていきますが、ここでは割愛します。

 やがてエルサレムに入ったイエスは、律法学者たちを無言でいるしかない状況に追いやり、今で言えばテロへと駆り立ててしまいます。

 尤も、物語の中の長男すら、この父親の言葉に対して、どう反応したかが、明らかではありません。

 父親は、この長男を元のように立ち直らせることができるのでしょうか。そして、家督を無事に相続させ終えることができるのでしょうか。

 

 楽しみ喜ぶのは「当たり前」だ、と父親は長男に弁明していました。

 ですが、長男にしてみれば、当たり前ではありません。とすれば、長男に対して、これは「当たり前」なのだ、と教育していることになります。

 飢饉にあって困難な息子が戻ってきたのを助けるのは、当たり前だ、と。

 兄が、弟の実の姿を探って知っていたのだとすると、そんなことは無駄だ、と諫めているような気もします。弟に対しては、ただただその「飢饉」の苦しみに、自ら手を伸ばして救ったのではありませんが、父親は、「飢饉」からの帰還を待ち、受け容れることで、自らの喜びとしました。一方、それを面白く思わぬ兄のほうには、これが父親の愛情だ、ということ、つまり世の中の掟や表向きの道徳の問題ではなく、父親というものは、どの息子にも等しく愛情をかけているのだ、ということ「当たり前」のものなのだ、と教えようとしているかのようです。

 父親は、兄を教育しようとしている色合いが濃く現れてきました。

 

 父親は、息子をどちらも愛していました。真面目で黙々と社会のルールに従う長男を嫌うことはありません。ですが、どんなことがあったにせよ、ひどい目に遭った末、自分の居場所を忘れずに戻ってくる勇気のあった弟に対しても、そのまま受け容れることをしました。そして、それをルールからして非難する兄のほうに、これが「当たり前」だという父親の世界観を教育しました。

 それが、父親の愛情でした。

 イエスは、「互いに愛し合いなさい」と命じました。それは、「互いに」というどこか平等性に基づくような表現をとっていますが、この父親と弟のような愛し合い方も含んでいるものと思いたいものです。

 イエスは、何か教える立場にある者に対して、教える相手に、この父親のように愛せ、と語っているように、聞くこともできるように思えました。



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