『聖書』という日本語は、「聖なる書物」というふうに読めます。が、もともとは「本」という程度の意味しかなく、強いて言えば「本の中の本」とでも言えましょう。
どうも、ありがたい経典、崇高な教え、といったイメージで見られているようです。あるいは、『論語』のように、イエスの教えが羅列されているように思われているかもしれません。
しかし、人間のみにくさがとことんまでに描かれている点では、実に悪のオンパレードとなっている書物でもあります。
旧約聖書と新約聖書
キリスト教会で使っている聖書は、「旧約聖書」と「新約聖書」とから成っています。
旧いとか新しいとか呼んでいるのは、キリスト教の都合であって、ユダヤ教の人は「旧約」などとは呼びません。それだけが聖書です。(「小乗仏教」と「大乗仏教」みたいなものでしょう)
イスラエル民族を導いた神が、それまでとは別の形で(ただしキリスト教からすれば、すでにあちこちに密かにヒントが与えられていた通りに)救い主を送った、それがイエスであった、というのが「新約聖書」の主張です。新約聖書は、イエスの生涯とイエスを信じた人々の手による記録を集めたものです。簡単に言うと、イエス以前が「旧約聖書」、イエス以後が「新約聖書」ということです。
新約聖書の根拠は旧約聖書にあり、旧約聖書で隠されていたことが新約聖書で明らかにされた、とするのがキリスト教です。明らかにされたわけではない、とユダヤ教の人は考えています。
新約聖書の内容
大きく分けて、1.「イエスの生涯」2.「使徒(弟子)の行動記録」3.「信者への諸注意」4.「将来の姿」がそこに記されています。正確に言うと、次のように分けられます。
初めての方は、やはりまず「福音書」に目を通されたらよろしいかと思います。イエスがどのようなことを語り、どのようなことをしたか、を把握する必要があるでしょう。4人の筆者それぞれの持ち味で描かれていますが、自らをキリストすなわち救い主として人々に慈しみを施し続けたイエスが、捕らえられて、十字架の上で死に、よみがえるという筋道に変わりはありません。
時間のない方は、「手紙」から読んでみる方法もあります。手紙は、もしかするといかにも「教え」のように読めるかもしれません。やや教義的な内容になるでしょうが、聖書の教えを簡潔に理解するには、最適です。「福音書」が大河小説なら、「手紙」はビジネス書のようなものかもしれません。
また、「使徒言行録」(訳によっては「使徒行伝」「使徒の働き」などと記されています)は、ドキュメントもの、あるいは冒険ものをお好みの方にお勧めです。さまざまな危機に遭遇しながらも、困難を乗り越えていくパウロの姿がそこに描かれています。
神秘主義に浸りたい場合は「黙示録」がよろしいでしょうが、読みまちがえると危ない思いこみに走る危険性もありますので、扱いには注意してください。洗脳を図るカルト宗教が、よくこの黙示録を利用するのです。
旧約聖書の内容
新約聖書の三倍以上もある長い本です。それだけに変化に富んだ内容となっています。大きく分けて、1.「モーセ五書(律法)」2.「歴史書」3.「預言者」4.「文学」から成ると言われています。
現代人に必要な聖書
聖書は、もちろん魂の救いのために役立ちます。
と同時に、そうしたことに興味のない人も、この聖書が現代世界を動かしていることを否定することはできず、したがって聖書に無関心でビジネスをしていくことも、できない状況になっています。さらに、ビジネスどころか、外交や平和、はては人類の滅亡にも関わっているといえますから、事は重大です。
そんなオーバーな、と思われるかもしれません。
でもたとえば、今日の中東問題を考えるためには、旧約聖書を知らないわけにはいきません。
イスラエルの国を中心として、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は、すべてこの旧約聖書を規範としています。これだけの歴史を背負い、ここに示されているような環境の中で、中東諸国は今も動いています。そして、イスラエル共和国を支持するアメリカと、イスラムを信奉するアラブとの対立が、まさに今高まっています。今回の映像をスタートとして見てテロがどうのこうのと決めつけるのは早計です。問題の根は、何百年、何千年と昔の事柄に根ざしていることを考慮しなければならないのではないでしょうか。
なんとなく毛嫌いしていた方、読んではいたけれど自分の興味だけでしか読んでいなかった方、聖書は、人間に限りない知恵を与えてくれます。これからの時代を生きるためにも、どなたにでも聖書は開かれていますので、ぜひお手に取っていただきたいと願います。